軍備への不満
─平和憲法と自衛隊
「あらゆる戦争も正義の名の下で行われるけど、正義であると歯止めが利かなくなる。それより『おれも間違っているかもわからんな』と思いながらやる方がいいんだよね」。
森毅
「仁義なんてものは悪党仲間の安全保障条約さ」。
黒澤明『酔いどれ天使』
前章 現実なき軍隊
二〇〇二年四月十六日、日本政府は、極めて厳しい経済状況の中、武力攻撃事態法案・自衛隊法改正案・安全保障会議設置法案、いわゆる有事三法案を閣議決定したと発表している。小泉純一郎内閣総理大臣は、これを「米国同時多発テロ」並びに「九州南西海域不審船事案」といった「現実を踏まえ、我が国の緊急事態対処の全般を見直して、いかなる事態にも対応できる安全な国づくりを進める」ために必要であるという首相談話を公表している。現段階では、緊急事態が起きたときに、自衛隊は超法規的な行動をとらざるを得ないのであって、法治国家である以上、それに備えて法整備が必要だという論理である。
ところが、中谷元防衛庁長官はこの有事法制が自衛隊にとって「悲願」だったと発言している。有事三法案は「米国同時多発テロ」や「九州南西海域不審船事案」のような事態に対応しているのではなく、それは口実にすぎない。事実、この法案をめぐる政府の手法と認識は、戦艦の時代がすぎさった後に、大和と武蔵を進水させた帝国海軍や記念日にあわせて突撃させた帝国陸軍を彷彿させる。「世が幸せなら、悲しもう。世が悲しみ始めたら、喜ぼう」(テルトゥリアス)。
 中国政府は有事法制化の動きに対して懸念を表明し、また韓国のメディアは一斉に警戒感を示している。両国だけでなく、アジア諸国の間で、日本の安全保障政策に対する不信感は今もなお根強い。
実際、有事法制の根拠となる外国勢力の脅威は、仮想敵国ソ連が崩壊した以上、日本にとって、存在しない。ロシアはウラル山脈東の全シベリア、すなわち太平洋から六千キロ先の地域に、陸上自衛隊の半分程度の七万四千の兵員を置いているだけであり、太平洋艦隊の中で満足に動ける水上艦はわずかに二隻である。北朝鮮は軍備増強どころか、経済破綻によりいつ崩壊してもおかしくない状況である。北朝鮮がつぶれた場合の連鎖破綻を恐れる韓国は、それを防ぐために、各国に北朝鮮への援助を働きかけている。中国と台湾の軍事力の差は、海・空軍においては、歴然としており、中国が台湾へ侵攻することは不可能である。しかも、かつて北朝鮮を支援して朝鮮戦争を戦ったロシアにしても、中国にしても、韓国と国交を結び、韓国は欠かすことのできない経済的パートナーとなっている。また、北方領土を含めいくつかの島の領有権が問題となっているが、カシミールとは違い、それが軍事衝突にまで発展する可能性はない。海に囲まれている日本で、通常兵力による戦争では制空権ついで制海権を手にすることが最優先であるが、空母並びに上陸艦船を十分に備えている周辺諸国は、アメリカ以外には、ない。スパイ衛星を効果的に用いる能力は言うまでもないだろう。東西冷戦という大きな戦争の物語はもはや終わり、九〇年代を通じて内戦が中心であったように、今日は小さく持続する戦争、すなわちキャンペーンの時代であり、そもそも外国勢力による侵略の脅威を前提にした有事法制はアナクロニズムにほかならない。均衡の世界は終わり、複雑系の世界が始まっている。短期的な予測は可能だが、長期的には不可能である。以上の点からも、有事法制の必要性・緊急性はまったく認められない。貴金属店と一般住宅の防犯に対する「備え」は違うのであって、アメリカやイスラエルをめぐる情勢と日本が置かれている状況を同一して安全保障を考えること自体、危険を招いている。
しかも、この法案は、九月十一日の同時多発テロがきっかけとなって、検討されたにもかかわらず、テロに関する対策は「必要な施策を講ずるものとする」にとどめ、事実上、後回しにされている。テロ対策を含めた法案を作成するためには、自衛隊だけでなく、警察や海上保安庁との調整が不可欠であるが、調整が難航し、今国会に提出できなくなる可能性が高い。
防衛庁の想定している有事は、近代日本では、第二次世界大戦時の沖縄戦でのみ体験されている。沖縄戦の十分な検証をすることなしに、法案化されるとしたら、それは机上の空論でしかない。近代法の精神は権力への許可事項ではなく、禁止事項を規定する以上、戦時下における自衛隊の最低限の禁止項目を盛りこんだ有事法制の方が有効である。危機に対する想像力の欠如が日本政府・行政・立法において問われているけれども、想像力を上回るからこそ、それが危機となるのであって、想像力の及ぶ範囲は経験に基づいて対処できる限り、危機の名に値しない。経験を踏まえつつも、先験的な事態に直面した際に、いかにすべきかという問いは、不可能の証明として、アイロニカルに解くことができる。近代法は神の死を背景にしている。アメリカの世界戦略は国際政治学ではなく、実は、数学的モデルを根拠にしている。アメリカは東西冷戦構造の抑止政策からポスト冷戦では先制政策へと転換するが、この変化は、数学における均衡から非均衡=複雑系への移行に対応している。日本での安全保障をめぐる議論はこの視点が欠落している。小泉首相は、「備えあれば憂いなし」という理由で、有事法制の制定を急がせているが、神と違い、人間には未来を完全に予測する能力は恵まれていないのであり、将来の予測を超えた事態に備えるには、許可事項ではなく、禁止事項を法に刻み付ける方がよい。ジュネーヴ条約など国際的な条約は、実際、批准国への禁止項目を規定している。もっとも、禁止事項を無視して、沖縄戦で皇軍は恣意的な行為を繰り返し、住民を惨劇にさらしている。そして、為政者も「国民」も事後的な正当化を「言葉」によって行う。「初めに言葉があった。言葉は神と共にあった。言葉は神であった」(『ヨハネによる福音書』第一章第一節)。今回の有事法制は沖縄戦での皇軍の行為を正当化するものでしかない。
二〇〇二年九月十七日、小泉首相が北朝鮮の平壌を訪問し、金正日国防委員会委員長との間で首脳会談が行われ、両者が日朝平壌宣言に署名し、日朝国交正常化交渉への流れが決まってからは、さすがに有事法制論議は静まったが、それが事実上頓挫した後、二〇〇三年度の国会で、有事法案は成立している。
付け加えるならば、現代社会において「国防」や「自衛」という発想自体が時代遅れである。贔屓目に見たとしても、自衛隊の将来的な任務は日本国への侵略行為の防衛ではなく、国際社会に対する脅威に対抗する活動への参加である。それには、機動力のあるコンスタビュラリーの方が効果的であり、自衛隊を解散して、そういった部隊構成に再編すべきであろう。さもなければ、日本国憲法が目指したしたたかさを発揮して、現状を維持するしかない。いかなる国においても、本音と建前の乖離があり、中国の共産主義や台湾の統一=独立などそれを明確化すると混乱に陥ってしまう以上、曖昧さに徹するのも賢明である。国内法に対する国際法の優位における未来の変化──国民国家体制の解体──に向けた国際社会への貢献が自衛隊の最重要課題であって、国家の防衛はその目的に必ずしも合致しないどころか、近年のアメリカのイデオロギー外交と孤立主義外交が示している通り、世界平和を脅かすことになりかねない。アメリカの外交政策はイデオロギー外交と孤立主義に二つの柱によって構成されている。アメリカは「国益」目的で他国へ干渉しないが、「自由」と「民主主義」という「公益」のためには。そうすることもやむをえないというわけだ。この「公益」という文化普遍主義が世界を混乱に陥れている。「防衛」という概念も歴史的・社会的背景によって決定されるのに、今回の有事法制はそれさえ対応していない。その融合が矛盾であるとしても、アメリカ人は自由と民主主義、フランス人は自由・平等・博愛の理想を追求している。日本人が追い求めるべき理想は平和と非核であろう。これを放棄した時、日本人にはただ無しか残らない。日本の憲法改正論議ほど馬鹿げたものはないだろう。クーデターや革命でもない限り、多くの国で憲法の条文について修正・補正されることはあっても、全体を改定するケースは極めて稀である。少年法の改定にはメディアの熱心さもあって知られているけれども、憲法よりも日常的に身近な刑法や民法に関して、国民年金制度と同じ程度の知識しか持っていない。目的は九条の変更であるのに、それを曖昧にしようとして政治家があげているプライバシー保護や環境問題対策は、それこそ九条でお得意の憲法解釈や個々の法令によって可能である。自衛隊を含む日本の国際貢献が評価されず、限定されざるを得ないのは憲法九条の制約であると右派が主張しているのは、自らの無能さをごまかしているにすぎない。そもそも今日の国際貢献において重要とされているのは地域研究・文化人類学的発想である。法的意識を軽視した挙げ句、このような無内容な言説が一般にまかり通っている。日本に必要なのは憲法を変えるか否かではなく、法に対する意識である。日本国憲法改正の論議そのものがまったく意味を持っていない。
こうした現実から遊離した自衛隊や安全保障をめぐる議論並びに法整備は自衛隊発足当初からだけでなく、その前身である警察予備隊の誕生時から続いている状態である。安全保障の部隊が必要であったとしても、現在の自衛隊の実態や成立過程に関して政府は総括すべきであろう。歴代政府は国際情勢を軍備の拡充の言い訳に使っている。自衛隊は「戦力なき軍隊」ではなく、「現実なき軍隊」、すなわちドラッグである。安全保障をめぐる論議は日本ではドラッグに溺れているにすぎない。何かをやっているかのように錯覚しているだけで、その実、何もやっていない。特に、近年はその依存症が悪化している。これは戦後日本において軍備の持つイデオロギー的特徴から導き出されている。戦後日本では、諸外国と比較して、宗教・民族間の深刻な対立は少ない。その代わり、戦後日本を二分し続けた最大の懸案は改憲・再軍備である。戦後日本の軍事力の正当化はベルサイユ条約下のナチス・ドイツの軍拡に似ている。つまり、安全保障=軍事力は文化的なイデオロギーとして機能してきたのである。
第一章 自衛隊の誕生
第一節 警察予備隊の誕生
一九五〇年六月、朝鮮戦争が勃発した後、国内治安の維持を任務とする八月十日付けの連合軍最高司令官ダグラス・マッカーサーの指令、いわゆるマッカーサー書簡を受け、吉田茂内閣総理大臣は警察予備隊を創設する。この書簡には、七万五千人規模の国家警察予備隊の設置を「許可する」と記されている。国内の共産主義勢力の伸張を脅威と感じ、国内の防共のための警察力強化を望んでいた吉田首相は、この「許可」を歓迎する。一九四六年に「一切の軍備と国の交戦権を認めない結果、自衛権の発動としての戦争も、また交戦権も放棄したものであります」と国会で答弁していた吉田首相は、警察予備隊創設に際して、「武力による自衛権は放棄したのであるから、あくまでも放棄すべきであるという見解は今なお堅持して捨てない」と言っている。確かに、自衛力は放棄したが、警察予備隊はあくまで警察力であって、警察力の強化は憲法第九条には抵触しないというのがこの時点での政府の見解である。
植村秀樹は、『自衛隊は誰のものか』において、GHQの警察予備隊構想について次のように述べている。
警察の再編について検討していた占領軍の総司令部(GHQ)には、四万ないし五万人程度の治安部隊を警察内部につくるという構想があった。この部隊はコンスタビュラリー(constabulary)と呼ばれ、軍隊のような組織をもった軽武装の部隊で、韓国やフィリピンでも組織されていた。当時のアメリカの公文章をつぶさに見ていくと、これがかなり早い段階から計画されていたことがわかる。警察予備隊は警察力の強化としてはじまったようである。五〇年九月二十一日付の日本政府の文章には「警察予備隊は自衛権の発動たる国土防衛の為の警察敵軍的性格を有すると共に、一般警察の実力的保証者となって内乱、騒擾、災害その他特別の必要のある場合に行動し、国の治安維持に当たることをもって任務とする」とあり、「防衛的見地」と「治安維持」の見地の両方が出てくる。
「コンスタビュラリー」は、四万から五万人という規模を別とすれば、軍隊であると断言できない。平和憲法を持ち、非武装・中立を実践しているコスタリカもこうした軽装備の部隊を保持している。コンスタビュラリーを持つことと非武装・中立は相反しないだけでなく、警察力の延長と考えれば、日本国憲法第九条とも矛盾しない。けれども、それにとどまらず、軍隊を復活させるのではないかという不安が当時の日本の人々に生まれている。治安維持法を筆頭に、それを彩る言葉は民主的であっても、実体は極めて反動的・強権的な法を制定しただけでなく、法を軽視し、なし崩しに既成事実を押しつけてきたという近代日本権力の手法の歴史を顧みるならば、当然の反応である。
吉田首相は、一九五一年一月、対日講和特使のジョン・ダレスとの会談で、日本の再軍備と米軍駐留の白紙小切手を要求するアメリカに対して、表面的には、再軍備に反対する姿勢をとっている。しかし、彼自身は軍隊を持つことを否定していてはいない。再軍備論者は国民感情を代表しているわけではなく、再軍備の負担により国民生活が圧迫され、また近隣諸国も国内世論も軍国主義復活を警戒しているという三点から吉田首相は再軍備を拒絶しているが、いずれも現段階での理由にすぎず、時が経って櫂決されれば再軍備に踏み切る余地を残している。吉田首相は再軍備の時機をうかがっていただけである。
警察予備隊は形式上は警察機関であったが、実質的には軽武装の軍事組織的性格が強い。一九五一年九月にサンフランシスコで講和条約が締結され、同時に日本とアメリカとの間には日米安保条約が締結される予定になっている。ソ連との冷戦の進行の中で、アメリカは東アジア地域においては安保条約に基づく在日米軍を極東戦略の重要な拠点としながら、独立回復後の日本を西側陣営に組みこむため、日本の防衛力の強化をも容認せざるをえなかったのである。日米安保条約の締結は、言うまでもなく、先にあげた松井明の手記が伝える昭和天皇の意向も反映されている。昭和天皇及び吉田首相とアメリカ政府の思惑が一致して再軍備への動きが始まったのである。
第二節 保安庁から自衛隊へ
一九五二年四月二十六日、吉田首相は海上保安庁内に海上警備隊を設置し、さらにサンフランシスコ条約発効後の八月一日、警察予備隊と海上警備隊を統括する保安庁を設置する。これに伴い、警察予備隊を保安隊に、海上警備隊を警備隊にそれぞれ改称している。当初、吉田首相は「保安隊」ではなく、「防衛隊」に改める予定だったが、与党の自由党からも反対され、妥協している。保安庁の任務は、保安庁法によると、「わが国の平和と秩序を維持し、人命及び財産を保護する」と規定され、警察予備隊よりいっそう軍隊的性格を強めている。
こうした一連の動きに対して憲法違反ではないのかという世論も高まる。吉田首相は、一九五二年三月の参議院予算委員会において、「自衛のための戦力は違憲にあらず」と答弁し、従来の見解を変更している。次第に再軍備と憲法第九条の規定との関係が政治的な焦点となってきている。
先に触れた通り、一九五一年九月、サンフランシスコで五十二ヶ国が参加して対日講和会議が開催され、現地時間で九月八日、日本を含め四十九ヶ国が対日平和条約に調印し、日本の独立がその諸国によって承認される。ソ連やチェコスロバキア、ポーランドといった東側陣営は参加していなかったし、フィリピンやインドネシアなどが賠償を日本に求めていたために条約の批准が遅れたが、日本を西側陣営にできる限り迅速に組みこむ必要があるというアメリカ政府の意向により進められている。この条約により、日本は国際的紛争解決には武力ではなく、平和的手段を用いることを各国との間で約束する。第九条を変更したとしても、それは変わらない。と言うのも、憲法は国内法にすぎず、国際条約の効力には及ばないからである。
同時に、ただし別室で、日米安全保障条約が締結される。この条約では、最初の締結時点では、駐留アメリカ軍は日本を守る義務はない。第一条に、アメリカ軍は駐留基地を「極東における国際の平和と安全に寄与し、(略)外部からの武力攻撃に対する日本国の安全に寄与するために使用することができる」と記されている。また、安保条約と並んで、非常にアメリカ軍にとって有利な行政規定が結ばれている。行政規定は国会承認を必要としないため、重要な項目はこちらに盛りこまれている。六〇年の安保全面改定に伴い、行政規定は日米地位協定に改正され、現在に至っている。日米安全保障条約は何度か改定されてきたが、自衛隊にとって不利である状況は完全に改善されてはいない。しかも、条約の更新の度に、政府・防衛庁の中で、自主防衛論と共同防衛論が何度も交錯したものの、小渕恵三内閣で成立した新ガイドライン法案では、日本の防衛は自衛隊による自主防衛に決定されている。
一九五四年三月八日、日米相互防衛援助協定、通称MSA協定が調印され、アメリカから武器その他の援助を受ける代わりに、日本側も防衛力の増強を義務づけられている。それを受け、同年六月九日、政府は防衛庁設置法・自衛隊法、いわゆる防衛二法が公布し、七月一日、施行する。これにより保安隊は陸上自衛隊に、警備隊は海上自衛隊に改編されると共に、航空自衛隊が新設され、以上の三自衛隊を統括する防衛庁が総理府の外局として設置される。防衛庁という名称は、省への格上げを認めず、「自衛庁」を主張する自由党に対して、改進党が省への格上げを諦める代わりに、「防衛庁」とすることを求めた妥協の産物である。
第二章      行政組織としての自衛隊
第一節 自衛隊の構成
自衛隊は自衛隊法によって設置されている行政機関である。法律上の定義としては、防衛庁・陸上自衛隊・海上自衛隊・航空自衛隊・防衛大学校・防衛医科大学校・統合幕僚会議・防衛施設庁その他の機関を含んでいる。自衛隊の任務は、自衛隊法三条によると、「わが国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、直接侵略及び間接侵略に対しわが国を防衛することを主たる任務とし、必要に応じ、公共の秩序の維持に当る」と規定され、保安庁法よりも軍事組織の意味合いが強まっている。
防衛庁長官は、内閣総理大臣の指揮監督を受け、自衛隊の隊務を統括する。また、内閣には一九五六年以降国防会議が置かれ、国防に関する重要事項を審議する。一九七二年から国防会議に他省庁の職員も参加できるようになり、一九八六年には安全保障会議と改称されている。陸上幕僚長、海上幕僚長、航空幕僚長はそれぞれ防衛庁長官の指揮監督下にあり、陸上自衛隊、海上自衛隊、航空自衛隊の隊務及び所部の隊員の服務を監督する。防衛庁長官の下に、防衛庁副長官一名、さらにその下に長官政務官二名、事務次官一名、参事官十名以内、内部部局、統合幕僚会議、付属機関と陸上自衛隊、海上自衛隊、航空自衛隊及び防衛施設庁が置かれている。内局と呼ばれる内部部局は長官官房、防衛局、教育訓練局、人事局、経理局、装備局から構成され、長官官房には官房長、各局には参事官である局長がそれぞれ就任する。自衛官は納税者の納める税金によって支えられる特別職の国家公務員である。現在の防衛費は、アメリカ合衆国、ロシア連邦に次ぐ世界第三位の規模を持っている。
第三章 五五年体制と東西冷戦
第一節 五五年体制の成立
一九五五年六月、社会党の左右が統一し、その一ヵ月後、保守勢力の結集・安定を期待する財界の支持を背景に、自由党と民主党の保守勢力の間で保守合同が行われ、自由民主党が結成される。いわゆる五五年体制がスタートする。
この自民党対社会党が二大政党制、保守と革新のイデオロギー対立という捉えられ方もあったが、現実には、社会党の議席は自民党の半分程度であり、社会党は自民党に対する抗議票を集めていたにすぎない。むしろ、自民党内の派閥抗争が政策決定に影響を与えている。宇都宮徳馬から中曽根康弘まで所属する自民党の左右は。他党よりも幅が広い。安全保障政策も、経済政策と関連させつつ、自民党内のいわゆるタカ派とハト派の妥協によって決められ、なし崩しに示される既成事実に対する代替案を社会党は提示できない。自民党の政権は、そのために、既成事実によって人々を泣き寝入りさせることを通じて、続き、三木武夫内閣の坂田道太防衛庁長官など数少ない例外を除けば、惰性のまま防衛政策が実施され、何度か反動化している。
Dig
if u will the picture 
Of u
and I engaged in a kiss 
The
sweat of your body covers me 
Can u
my darling 
Can u
picture this? 
Dream
if u can a courtyard 
An
ocean of violets in bloom 
Animals
strike curious poses 
They
feel the heat 
The
heat between me and u 
How
can u just leave me standing? 
Alone
in a world that's so cold? (So cold) 
Maybe
I'm just 2 demanding 
Maybe
I'm just like my father 2 bold 
Maybe
you're just like my mother 
She's
never satisfied (She's never satisfied) 
Why
do we scream at each other 
This
is what it sounds like 
When
doves cry 
Touch
if u will my stomach 
Feel
how it trembles inside 
You've
got the butterflies all tied up 
Don't
make me chase u 
Even
doves have pride 
How
can u just leave me standing? 
Alone
in a world so cold? (World so cold) 
Maybe
I'm just 2 demanding 
Maybe
I'm just like my father 2 bold 
Maybe
you're just like my mother 
She's
never satisfied (She's never satisfied) 
Why
do we scream at each other 
This
is what it sounds like 
When
doves cry 
How
can u just leave me standing? 
Alone
in a world that's so cold? (A world that's so cold) 
Maybe
I'm just 2 demanding (Maybe, maybe I'm like my father) 
Maybe
I'm just like my father 2 bold (Ya know he's 2 bold) 
Maybe
you're just like my mother (Maybe you're just like my mother) 
She's
never satisfied (She's never, never satisfied) 
Why
do we scream at each other (Why do we scream, why) 
This
is what it sounds like 
When
doves cry
When
doves cry (Doves cry, doves cry) 
When
doves cry (Doves cry, doves cry) 
Don't
Cry (Don't Cry) 
When
doves cry 
When
doves cry 
When
doves cry 
When
Doves cry (Doves cry, doves cry, doves cry 
Don't
cry 
Darling
don't cry 
Don't
cry 
Don't
cry 
Don't
don't cry 
(Prince &
The Revolution “When Doves Cry”)
第二節 東西冷戦という神話
警察予備隊から始まる日本の防衛力は、後に言及する保守層の去勢コンプッレクス以上に、アメリカの世界戦略が規定している。アメリカ政府がアジアの共産化の防波堤として日本の軍備増強を求めてきたのだが、この世界戦略の前提が「東西冷戦」である。しかしながら、これは神話であって、そこには誤った認識がある。
「東西冷戦」という概念は、当時の国際情勢の反映と言うよりも、アメリカによるその短絡化にすぎない。ヨーロッパの社会主義国とアジアの社会主義国──より正確には、ヨーロッパ以外の社会主義国──の性格は明らかに違う。東欧の社会主義国はソ連の衛星国であり、そのため、ハンガリーやチェコスロバキアなどで独自の動きが見えると、ソ連は軍隊を侵攻している。他方、アジアの社会主義国は帝国主義に対する民族自立を掲げて建国しているのであって、中国にしろ、ベトナムにしろ、ソ連と一定の自律性を保っている。実際、ソ連が解体した後、東欧の社会主義政権は次々と倒れていくが、アジアでは、その体制が維持されている。ところが、アメリカは「東西冷戦」という機軸を打ち立て、アジアの社会主義勢力もソ連の支配下にあるように見立て、彼らの反帝国主義や民族解放の目標を完全に無視し、腐敗した権威主義的な傀儡政権を維持させる。むしろ、必ずしも社会主義を掲げていなかったキューバやニカラグアのように、経済封鎖をしたために、アメリカがソ連に接近させてさえいる。確かに、ヨシフ・スターリンが戦後ドイツの弱体化を狙い、第一次世界大戦後の教訓を完全に無視して、ドイツのソ連占領地域を放置し、東西冷戦のきっかけを作ったのは事実である。スターリンは西側が彼の要求を断れば好戦的だと判断し、逆に、西側が譲歩すれば裏があると勘ぐる魔女裁判の裁判官にうってつけの人物である。けれども、フィデル・カストロに「共産党宣言」をさせたのは、間違いなく、合衆国である。腐敗しきり、非民主的なキューバの旧体制を民主主義の名の下に合衆国は支持していたにすぎない。ディエゴ・マラド−ナは、「私はツインタワーへのテロを絶対に許さない。だが、アメリカのキューバ制裁はその前から続いており、それに対しては誰も何もしていない。キューバでは生き延びるために医薬品を必要としている子供たちがいるのに、誰もそれを持ち込めない。これは彼らの死を意味している」以上、「アメリカのキューバ制裁はテロだ」と批判している。ソ連を権威付けたのはアメリカである。アメリカが見ていた現実は、もともとアメリカの戦略が生み出し、それに刺激されて実現化されるという悪循環の帰結である。アメリカとソ連の国力の差は日本の自民党と社会党の差ほどもあり、最初から戦いになっていない。東西冷戦において、合衆国がつねにソ連の上にいなければならなかったが、合衆国の軍事予算がGNPの一〇%程度ですんでいたのに対し、ソ連は国家をあげなければならず、GNPの半分も費やしていたのである。一九八五年、ミハエル・ゴルバチョフをソ連共産党が書記長に選んだのもこうした停滞を脱却するためである。五五年体制は、その点においてのみ、東西冷戦構造の反映である。
なるほど、東西冷戦の始まりによって、第一世界と第二世界の戦死者はそれ以前と比べて劇的に減少している。しかし、それは、一九四五年八月六日と九日に投下された原子爆弾の出来事以降、統計的に戦死者は減っていると主張するのと同じである。少なくとも、核兵器を使った実際の戦争よりも冷戦という戦略ゲームであったため、二つの陣営にとっては安全である。けれども、第三世界の死傷者の数は、東西冷戦下、悲惨さを極めている。東西冷戦というゲームにおいて、第三世界は捨石にすぎない。東西冷戦は第三世界の問題を先送りにしていたにすぎないのだ。
言うまでもないことだが、ウィンストン・チャーチル卿が言った「鉄のカーテン」の向こう側の指導者が平和主義者であったわけではない。彼らは好戦的で、疑り深く、終始、自分の影響力を拡張したがっていったことは疑問の余地はない。東側は西側の平和運動や反戦運動の一部に工作員や費用を流していたことも事実であるが、それらには東側が正しいのではなく、西側が彼らと同じような愚行に陥っているのではないかという疑念がある。べトコンの南ベトナム地域の農民に対する蛮行はアメリカ軍以上だったのである。東側の国家には失敗は存在しない。なぜなら、それを隠したからである。少なくとも、隠蔽という点において、東側は西側以上である。リチャード・ニクソンが、東側の指導者なら、辞任することなどありえなかったろうし、反体制デモの許可など論外であろう。現在でも、「革命」を不用意に口にする体制の指導部は無神経極まりない発言を繰り返している。彼らは国家を囲い、民衆を囚人以上に惨めな状況に置き、外から見れば笑いを誘うほかないほどお粗末に、それを隠している。合衆国はドミノ理論に基づいてベトナム戦争に介入している。一つの地域が共産主義化してしまえば、それがドミノ倒しのように周囲に影響を与えるというこの仮説は、一九八九年以降の出来事が示している通り、逆の意味で、正しかったのである。誰もあんな惨めな状況になりたいなどと思わない。
東西冷戦はゲームであり、世界を盤にしたそのゲームにおいて、すべての参加者はいずれかの陣営につかなければならない。だからこそ、戦いの勝利と実際の勝利が一致しないことも少なくない。ベトナム戦争のときのテト攻勢はアメリカ軍の圧勝であって、ベトコン並びに北ベトナム軍は壊滅的敗北だったにもかかわらず、アメリカは以降戦争を続行することは困難になっていく。ただ、ルールさえわかれば、わかりやすい。一九七二年、リチャード・ニクソンと毛沢東は握手したが、両者とも相手に何かを与えると約束してはいない。ゲームとはそういうものだ。開始当初に比べると、徐々に、複雑化していったが、ゲームである以上、ルールを両者とも心得ている。攻撃的で、短絡的な思考の持ち主であるロナルド・レーガンとマーガレット・サッチャーが政治指導者になった時、東西冷戦というゲームは終わりを迎えたと判断すべきである。彼らにはリチャード・ニクソンのような現実主義もジミー・カーターのような理想主義もない。一九八〇年に始まったこうした二項対立の図式に則って世界を認識する方法が現在にまで至っている。日本も、国際社会に復帰する時には、どちらに属するのかを明確にしなければならなかったことは否定できない。東西冷戦が神話であるからこそ、そうしなければならなかったし、さもなければ、それは成り立たなかったのである。
秩序だったゲームは非線形的な現象、すなわち群集の動きを左右できない。冷戦が始まったころはニュース映画の時代だが、今や、インターネットの時代である。”Charlie
don’t net-surf!”メディアという観点から、歴史を考察すべきだろう。東西冷戦下と違い、現在、アメリカは真に超大国として顕在している。ゲームが終わった中、乱戦のような真のゲリラ戦に突入している。東西冷戦のもたらした「均衡」は、正直なところ、十九世紀後半の発想であって、思想が現実に応用されるには半世紀ほど遅れる。線形的な運動はそれによって終わりを迎え、非線形的な現象が政治的・経済的・社会的変化をもたらす。そのことを認識すべきなのである。
奇妙なことに、日本では東西冷戦構造が崩壊してから、その論理を指導者が利用し、人々は、時代錯誤にも、それを信じている。独創性の欠如の点では、世界的に名高い日本は、国際政治においても、それを発揮している。世界第三位の防衛費を持つ国家であるにもかかわらず、沖縄県の年間予算の半分しかない北朝鮮の脅威を煽り、自衛隊の存在と日米安全保障条約を正当化し、防衛予算をさらに増やそうとさえしている。在日米軍を「番犬」呼ばわりした吉田茂のみならず、自衛隊の設立を望んだ政治家にしても、日本がまさかここまで経済発展するとは考えていなかっただろう。彼らにとって、日本はささやかであるけれども、威厳を持った国家である。ところが、彼らの予測を超えた経済発展を遂げた結果、自衛隊は逆に世界にとって厄介な存在になっている。北朝鮮が何をするかわからないなら、何をしても無駄であろう。日本にとって、最大の脅威は哀れで惨めな北朝鮮ではなく、その内にある愚かさなのである。アメリカの安全保障問題の専門家たちは、日本の核開発を促してしまうために、北朝鮮の核開発を危惧している。東西冷戦の後、アメリカに対抗できる軍事力を秘めているのは日本というわけだが、経済力と政治家や官僚の無能さを考慮する限り、これは正しい。それを知っているがゆえに、政府や官僚は対米追従を強化している。悪循環にすぎない。この日本の姿勢は、日本人がどう否定しようと、国際社会から見れば、極めて危険な徴候であり、日本に対する警戒感は増す一方である。本来すべきことは、従って、言うまでもないことである。
第四章 シビリアン・コントロール
第一節 日本国憲法の成立
国民国家は神の死と共に歴史に登場している。国民国家はニヒリズムの体制であり、その存在理由を人々に示すために、憲法を必要とする。戒める神が死を迎えたから、何事もできるのではなく、逆に、その制約を自らに課さなければならない。憲法は権力を制限する機能を持ち、第一に権力に対する命令である。この憲法観の下、すべての法は権力の規制を目的にしている。権力の制限ではなく、拡大を目的として起草することはその前提を無視している。
日本国憲法の成立過程の中で、日本政府はこの憲法の権力抑制について無自覚的である。日本政府はポツダム宣言を受諾し、降伏している。ポツダム宣言によれば、戦後の日本の政治形態は日本国民の自由に表明された意思によって決定される。ただし平和的傾向を持ち、基本的人権の尊重が確立されなければならない。このポツダム宣言を受諾したにもかかわらず、日本政府側は明治憲法の改正に消極的であったが、一九四五年十月十一日のダグラス・マッカーサー連合国最高司令官による憲法改正の指示を受けて、十月二十七日、憲法問題調査委員会を設置する。憲法改正にあたっての日本側の最大の関心は天皇制の保持にあり、人々の生命や財産ではない。これは、倒産した企業の取締役が、破産管財人に対し、社員の給与や待遇を二の次にして、現在の代表取締役の体制を維持させてくれと要求しているのと同じである。本来、最高責任者が率先して責任をとらなければならない。明治維新の際、徳川慶喜でさえ、将軍の地位から去っているとすれば、昭和天皇は、最低でも、退位はしてしかるべきだと見るのが妥当である。昭和天皇は、通訳を務めた松井明の手記によると、東京裁判にかけられなかったのに際して、ダグラス・マッカーサー司令官に謝意を示している。しかも、昭和天皇は、新憲法が施行された後も、しばしばGHQの司令官と会見し、二重外交を行っている。その主旋律はは、共産主義勢力が日本に台頭し、天皇制が脅かされるという危惧である。国連への不信感を露わにし、米軍の駐留を望み、朝鮮戦争での米軍の原子兵器使用の可能性を問い、ストライキを激しく非難する彼の姿を松井明の手記は伝えている。松本烝治国務大臣を委員長とする憲法問題調査委員会も明治憲法の基本原理を維持しつつ、細部の自由主義化にとどめる松本草案を作成している。
一九四六年二月一日、毎日新聞が松本草案をスクープする。マッカーサーは、その極めて反動的な草案に見られる日本政府の現状に関する認識不足を理由に、二月三日、総司令部で草案を作成して日本政府に提示することを決意し、民政局にマッカーサー三原則、すなわち天皇制の民主化・戦争放棄・封建制の廃止を示している。占領軍と日本側には戦争責任をめぐる認識に食い違いがある。占領軍は、戦争責任は国際法に対する違反であって、それを生み出したのは日本の政治体制であり、指導者層は体制の責任者である以上、責任は免れえないと考えている。一方、日本側は問題なのは体制ではなく、責任者の資質であるという法治主義と言うよりも徳治主義に立っており、そこから憲法をほとんど変えなくてもよいという結論が導き出され、その発想の下で松本草案が書かれてしまう。なお、法学において、英米系の「法の支配(Rule
of Law)」と大陸系の「法治国家(Rechtsstaat)」、(徳治主義の対立項としての)中国の「法治主義(Rule
by Law)」は区別される。これらの違いは言語学から見た方がわかりやすい。用法が言葉の意味を決めるのが英米系であり、大陸系では、意味が用法を決定するのであって、中国においては、言語の規則によってその秩序が維持されるという発送である。戦前、日本の法体系は法治主義と法治国家の融合であったのに対して、戦後は、法の支配の法体系が標榜されるが、実際には、そこに法の支配が加わっただけである。本論では、三つの法体系の区別を厳密に行っていないが、それは、法をないがしろにするための日本における混在を示す目的がある。ちなみに、この三者は、現在、非常に近接してきている。占領軍は、戦争責任に関して、最高責任者がまず責任をとり、順次、下部構成員の責任を追及するという法に則ったスタイルにするはずだったが、ここに政治的思惑が入りこんでしまう。天皇は、明治憲法下、軍の統帥権を唯一持ち、しかも主権者であるにもかかわらず、東京裁判で、天皇の戦争責任が不問に付されたのはアメリカのソ連に対する覇権意識が理由である。松本草案を憲法として制定した場合、一九四五年末に日本管理のため連合国によって設置された極東委員会が全面的に介入し、GHQの占領政策の見直しが迫られ、天皇の戦争責任に発展する可能性が高い。象徴天皇制はこうしたアメリカ占領軍の思惑から生まれている。最高責任者の不問により、以降、日本社会では責任がうやむやになる体質になっていく。ただし、無責任性は、後に言及する通り、明治体制の形成と共に育てられてきたのである。
民政局はマッカーサー草案を極秘裏に起草し、一九四六年二月十二日、完成する。翌十三日、この草案が日本側に手渡される。日本側は細部の手直しをした上で、三月六日、憲法改正草案要綱として公表する。
この要綱は、その後の過程で口語化され、一九四六年四月十七日、憲法改正草案として枢密院に諮詢されると同時に公表される。明治二〇年代に始まった言文一致運動だったが、戦前、政治や司法、官庁、軍部の公文書は文語体であり、その意味で、完全な言文一致は戦後になって達成される。六月八日の枢密院での可決を受けた後、政府は明治憲法七十三条に従って、六月二十日、開会された第九十回帝国議会に帝国憲法改正案として提出する。衆議院での審議は六月二十六日に始まり、特別委員会での審議を経て、若干の修正をほどこされた改正案が、八月二十一日に特別委員会で、また八月二十四日に本会議で可決され、貴族院に送付される。これを受けて、貴族院は八月二十六日に審議を開始し、ここでもいくつか修正が加えられて、十月六日に可決され、再び衆議院に回付、衆議院は、十月七日、貴族院の修正に同意する。こうして帝国議会を通過した改正案は再度枢密院に諮詢され、十月二十九日、本会議で可決された後、天皇の裁可を経て、十一月三日、日本国憲法として公布され、一九四七年五月三日から施行される。
日本国憲法の起草にかかわったGHQの民政局(GS)は、コートニー・ホイットニーを局長とする民政局は公職追放や内務省解体、財閥解体、農地解放、男女同権、地方自治に加えて、教育制度・警察制度の民主化を進めた部署である。中国大陸で、中華人民共和国が成立し、アジアの社会主義化と、ソ連の覇権の伸張を恐れたアメリカは、日本の軍人・政治家・官僚に対する戦争責任の追及を打ち切り始め、占領政策の民主化からの逆行、通称「逆コース」で行きづまり、代わってチャールズ・ウィロビー部長率いる参謀第二部(G2)が占領政策に影響力を及ぼすようになる。民政局とG2は対立し、占領当初は民政局が主体だったが、朝鮮戦争前後には、G2が主導権を民政局から奪い、日本の逆コースが加速される。
第二節 芦田修正
GHQ草案における後の第九条にあたる文章──ただ戦争放棄はGHQからだけでなく、幣原喜重郎内閣総理大臣から持ち出した説もある──は、小林直樹の『憲法第九条』によると、次のように記されている。
国家の主権的権利としての戦争を放棄する。日本は、紛争解決のための手段としての戦争、および自己の安全を保持するための手段としての戦争をも放棄する。日本はその防衛力と保護を、いまや世界を動かしつつある崇高な理念に委ねる。
日本が陸海空軍を持つ機能は、将来も与えることなく、交戦者の権利が日本軍に与えられることもない。
この文章は鮮明であるが、憲法第九条には自衛力としての軍備に関して曖昧さがある。憲法改正小委員会の委員長だった芦田均がGHQ草案に修正を加えている。彼は、原案に対して、第一項の冒頭に「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」、および第二項の冒頭にも「前項の目的を達成するため」を挿入している。
第九条は次のような条文に改まっている。
第二章 戦争の放棄
 第九条 【戦争の放棄、軍縮及び交戦権の否認】 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
A 前項の目的を達成するため、陸会空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
この修正により、アポロニオスの奇想とまでとはいかないまでも、自衛のための軍隊の所持、すなわち再軍備の抜け道ができたのである。「私の魂が別の身体をまとっていたあのときには、とある大船の舵取りだったのだ」(フラヴィス・フィロストラトス『テュアナのアポロニオスの伝記』)。GHQ民政局は芦田修正の問題点に気がついている。第九条の起草には、民政局次長チャールズ・ケーディスと民政局員アルフレッド・ハッシーの二人がかかわっている。憲法前文の起草者でもあるハッシーはマッカーサーの崇高な三原則に反しているという理由でこれに反対する。ハッシーは自衛戦争も放棄すべきであるというのがマッカーサーの理念だと把握している。しかし、コートニー・ホイットニー民政局長は軍備の放棄に賛成していないため、ケーディスもその意見に同意し、日本政府に対して異議を申し立てていない。けれども、ソ連や中華民国、カナダ、イギリス、オーストラリアは、これを軍国主義復活の動きと警戒し、ソ連のシビリアン・コントロールの提案を伝えられ、日本政府は憲法第六十六条に「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない」という規定を入れている。
第三節 シビリアンコントロールと国民主権
軍国主義に反対していたとしても、吉田茂にしても、芦田均にしても、シビリアン・コントロールを十分に認識していない。天皇に主権があった戦前の帝国陸海軍は「皇軍」、すなわち天皇の軍隊であり、「統帥権」は政治から独立し、シビリアン・コントロールは入る余地がない。彼らは、そうした意識を持つ旧軍人さえ排除すれば、シビリアン・コントロールが達成していると考えている。
けれども、シビリアン・コントロールはたんなる軍人以外の者による軍隊の統制ではない。軍隊に対する民主的な政治統制を意味する。より厳密には、主権者である国民による統制である。
ところが、歴代の政府は自衛隊や安全保障に関する議論を国会で避ける姿勢を続けている。これは背広を着用した官僚と族議員が制服の隊員に対して優位に立っていれば、内閣が「文民」によって構成され、自衛隊の最高指揮監督権を持つのが内閣総理大臣であるから、シビリアン・コントロールが機能しているという認識にほかならない。国会が自衛隊の定員・予算・組織などの重要事項を議決し、防衛出動に承認を与えることで自衛隊をコントロールするはずが、政府は、できる限り、国会の影響力を排除し、自衛隊の官僚主義化を試みている。右の政治家のシビリアンの方が、国際政治・軍事についてのリテラシーを著しく欠いているため、好戦的・冒険主義的であることが少なくない。
シビリアン・コントロールを遵守しようとした政治家がいなかったわけではない。自衛隊の防衛力の整備は一九五八年度から一九七六年度まで四次に渡る「防衛力整備計画」によって増強されてきたが、無派閥で防衛問題から縁遠かった坂田道太が防衛庁長官に就任した七六年度には「防衛計画の大綱」が策定されている。装備の前提として、核の脅威に対してはアメリカの核抑止力に依存するという姿勢は一貫しているものの、これ以後は具体的な整備目標を掲げず、保有すべき防衛力の水準の大枠のみを示し、各年度ごとに予算内で具体的に整備を実行する方式へと変更される。坂田長官は、大綱公表後、新たな防衛政策を「冷戦感覚からの脱却、整備すべき防衛力の明示、防衛力の量的拡大から質的拡大への転換」と位置づけ、大綱が「防衛に関する国民のコンセンサスの形成」のための「政府から国民に投げかけた問題提起」であるという談話を発表している。国民へ問題提起することを通じて、坂田長官はシビリアン・コントロールの遵守を自衛隊に求めている。以後、大綱に基づいて一九八七年度までは五年ごとの「中期業務見積り」、八七年度からは政府決定による「中期防衛力整備計画」がそれぞれ作成されている。一九九〇年に閣議決定された整備計画は東西冷戦終結などの国際情勢の変化に対応しており、九二年度に正式に修正される。
しかしながら、シビリアン・コントロールが問題になることは、政府・防衛庁では、多くない。東西冷戦が固定化することによって、逆に、日本をとりまく国際情勢が安定化している。防衛問題は、事実上、国内問題だったのである。自衛隊に対する肯定的な意見の理由の多くは、国防における貢献ではなく、災害出動の実績である。防衛費は、三木武夫内閣において閣議決定されたGNPの一パーセント以内という枠が一時期あったが、歯止めなく増加し続けている。「自衛隊が戦後の経済繁栄にいかなる貢献をしてきたのか」ではなく、「自衛隊が戦後の経済繁栄の恩恵をどれだけ受けてきたのか」という問いを考察しなければならない。合衆国海軍に次ぐ世界第二位の艦船を保有する海上自衛隊は、二〇〇二年十月、東京湾で、六十隻以上の艦船を集め、設立五十周年を記念した観艦式を催しているが、これは世界最大である。と言うのも、合衆国海軍は世界各地で臨戦体勢にあり、一箇所にそんな数の艦船を集結できないからである。暇と金を自衛隊は享受している。三矢研究を代表に、防衛官僚は主権者をまったく無視したシミュレーションを企て、陸海空の三自衛隊を統合した戦略もなく、自衛隊はたんなる予算を無駄に使う官僚組織にすぎない。防衛官僚は国会を通じたシビリアン・コントロールを儀礼程度にしか考えていない。それは小渕恵三内閣の下で成立した新ガイドライン関連法案が明確に物語っている。新ガイドラインにおいて、緊急事態での自衛隊出動の際、それを国会の事前承認ではなく、事後承認でかまわないと規定している。それを踏まえた有事三法案は自衛隊をシビリアン・コントロールに置くためではなく、逆に、シビリアン・コントロールの無効を狙っている。「まったく歴史とは、そのほとんどが人類の犯罪・愚行・不運の登記簿にほかならない」(エドワード・ギボン『ローマ帝国衰亡史』)。
第四節 集団的自衛権と集団的安全保障
竹中平蔵経済財政担当大臣は、二〇〇二年四月二十二日の講演で、街の喧嘩の比喩を使って、「集団的自衛権は私たちの固有の権利だと思う」とした上で、「そういうものがきっちりと国民全体で納得できるような憲法に持っていくというのが、あるべき姿だ」と集団的自衛権の正統性を訴えている。これは、一九九七年、新ガイドラインの発表の翌日、後に”Show
the flag!”で有名になるリチャード・アーミテージが「もし、友人と道を歩いていて、その友人が暴漢に襲われたら、どうするか」という講演での発言を踏まえている。竹中大臣に限らず、国防を街の喧嘩の比喩を用いて説明する政治家や官僚、メディア・タレントが少なくないが、これは矮小にすぎない。国防を街の喧嘩と同列に置いていた結果、帝国陸軍は盧溝橋事件を起こしたことを彼らは忘れている。安全保障は行政組織が納税者から徴収した莫大な予算と数多くの法に基づいて立案・実施されているのであって、軍事行動は政治行為である。軍事行動は、兵器を使う点で、街の喧嘩と大きく異なる。違法行為に対しては法に則って対処すべきであって、殴られたら殴り返すという認識では、軍事報復は、結局、体裁を整えたリンチにすぎないと認めているようなものである。日本政府は街の喧嘩と同じレベルで安全保障を考えるアメリカの姿勢が世界の平和を損ねていることの方を問うべきである。
Branch
Rickey: You must have guts enough not to fight back.
Jackie
Robinson: I’ve got two cheeks, Mr. Rickey. Is that what you want to hear?
いわゆる安保ただ乗り論をアメリカの安全保障関係者はしばしば口にし、日本の右派もそれを根拠にして集団的自衛権の解禁を持ち出す。アメリカが本気で双務制を望んでいるのなら、当然、合衆国の基地のいくつかは日本の自衛隊に提供し、軍事演習も米本土で実施させ、最新鋭の兵器も売却することになる。もちろん、いわゆる思いやり予算も廃止である。安保ただ乗り論はそういうことをわかった上での発言ではない。はなはだ不謹慎であり、不真面目である。
ただ、アーミテージの発言は、日本の安全保障政策の本質を端的に言い表わしているという点では、興味深い。日本の安全保障政策はいかにして世界平和に貢献し、そのためにどうすれば効果的なのかという方法論を欠いている。自衛隊を持ち、それを海外に派遣し、「友人」のアメリカに評価してもらうことがその主眼である。自衛隊解散論が非現実的であると主張していても、自衛隊を持つことに意義があり、海外に派遣をし、「友人」に認められること自体に目的があるとしたら、それはただのミリタリー・オタクにすぎない。
ミリタリー・オタクが安全保障にかかわった場合の危険は北朝鮮が示している。数多くの民間の邦人が北朝鮮特殊機関によって拉致されているが、金正日国防委員長はその理由を工作員への日本語教育並びに日本人になりすまして、韓国に入国するためだったと説明し、日本政府に謝罪している。だとすれば極めて場当たり的で、お粗末な作戦である。確かに、一九七二年の南北共同声明の発表まで、南北を問わず、スパイ活動やお互いの軍人・民間人の拉致、軍事施設の破壊、地雷の敷設などの陰湿な情報戦を繰り広げている。けれども、大韓航空機を爆破した金賢姫元死刑囚の発音する日本語を聞いて、彼女を日本人と感じる日本人はまずいない。彼女は日本語の長母音と濁音がほとんどできていない。民間航空機の爆破という重要な任務を課された工作員の発音があの程度だったとすれば、その教育システムがいかになっていないか想像するに難くない。仮に十数人が上達したとしても、費用や国際的悪名などを考慮すれば、極めて効率が悪い。先の二つの目的のために拉致を行ったとするなら、その指揮者はよほど想像力を欠いている。通常、秘密工作も、たとえ殺人や破壊が含まれているとしても、ある程度のルールに基づいて実施されているけれども、それが無視されている。第一、北朝鮮が朝鮮戦争を始めたのも見通しの甘さに起因しているのであって、とにかく現実的なヴィジョンを欠いている。国防どころか、秘密工作とさえも呼べない一連の作戦は、オウム真理教のように、思いつきでテロを実行したとしか思えない、あの当時頻発した北朝鮮によるテロ行為は、実戦経験及び知識、思慮深さを欠いている点から、その地位に就くには経験・能力共に不十分であったにもかかわらず、背後にある大きな力によって権力を手にしたため、諌めることが誰にもできない人物が指揮していたと推測されよう。北朝鮮の体制を維持させているのは軍事力ではなく、配給制と情報統制である。このようなミリタリー・オタク的な作戦を実行した国家が瓦解していくのは必然的と言わざるをえない。
経済政策ではお粗末極まりないにもかかわらず、北朝鮮の外交手腕は、日本以上に、国際的に高く評価されている。国際的に孤立している北朝鮮の外交政策はESSから見ると、把握しやすい。「進化的に安定な戦略(Evolutionarily
Stable Strategy: ESS)」は、一つの個体群において、ある行動様式がよく見られ、その他のいかなる戦略もこれに対抗できない場合を指す。この「戦略」は特定の状況下でいかに行動すべきかが、あらかじめその生物にプログラムされている行動様式である。一九七三年、イギリスの生物学者メイナード・スミスは、ゲーム理論を用いて、動物が闘いを抑制する理由をESSとして説明している。スミスは「タカ戦略(Hawk
Strategy)」と「ハト戦略(Dove Strategy)」という二つの戦略を提起する。このタカとハトは、同種の個体がとる行動上の戦略を指す比喩であって、「タカ戦略」は全力で戦うこと、「ハト戦略」は手加減して戦うことをそれぞれ意味する。ハト戦略もタカ戦略も進化的に安定となることはなく、個体群は自然選択によってタカとハトが一定の率で混在した「混合ESS」となる。それはタカ戦略とハト戦略の利益が等しくなり、個体数の割合がタカが五八%、ハトが四二%という配分の平衡状態に達する。平衡状態となった個体群ではタカが一〇〇%ではないため、ある程度の闘争の抑制が見られることになる。ESS理論が最もうまく該当するのは、ある戦略のもたらす利益が個体群におけるその戦略の頻度に左右される場合、すなわち個体群において一般的な戦略が不利となり、稀な戦略が有利となる場合である。大部分の個体がどの戦略を採用しているかによって最適戦略が決定する場合にESSは有効となる。北朝鮮の核開発もESS的なのはこれで明らかだろう。
確かに、国際連合は、憲章で、加盟国の自衛権を認めている。自衛権は各国の個別的自衛権と同盟関係にある国家への攻撃を自国に対するものと同じと見なす集団的自衛権に分けられる。日本政府は、前者は憲法の枠内であるが、後者に関しては憲法上認められないという公式見解をとっている。ただし、国連には集団的安全保障という考えがある。これは国連加盟国への侵略行為に対して国連軍を組織し、国連として制裁する安全保障であるが、いまだ実施されたことはない。この場合、現憲法下であっても、自衛官が自衛隊を一時退職し、国連軍へ参加できる。日本国憲法はその前文で「平和主義」の原則を掲げ、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と告げて、一般に、国際連合による集団的安全保障体制によって国の安全を実現する理念を明らかにしていると理解されている。しかし、国際貢献は、違法に対しては違法で望むのではなく、法と公正さに則って行われるべきものである。安全保障のために、すべてをねじまげるのは法と公正さを欠く犯罪行為にすぎない。「人間は自分自身の歴史をつくる。だが、思うままにではない。自分で選んだ環境の下ではなくて、すぐ目の前にある、与えられ、持ちこまれてきた環境の下でつくるのである」(カール・マルクス『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』)。
第五節 国際的名声と政治的野望
やはり死にたくない以上、経験豊富で、戦場を熟知している軍人の方が軍事行動には慎重な態度をとる場面も決して少なくない。逆に、現場をよく知らないシビリアンが軍隊を扇動することもありうるが、それはシビリアン自身が法の下にある原則をないがしろにして考えることから生じる。その動機は、往々にして、「国際的名声」と「政治的野望」である。「シビリアンは信用できない」(フレデリック・フォーサイス『ジャッカルの日』)。
一九九五年七月、ボスニア=ヘルツェゴヴィナ東部のスレブレニツァで、七千人以上のモスレム人住民がセルビア人武装勢力によって虐殺されている。これは、第二次世界大戦以降、最大の虐殺事件である。オランダの戦争公文書館が五年の歳月をかけて調査した結果、PKOに加わったオランダ部隊が適切に対応できなかったために、この虐殺が行われたと報告している。その責任をとって、二〇〇二年春、オランダのウィム・コック内閣が総辞職している。現在、オランダのハーグには、旧ユーゴの戦犯法廷や国際刑事裁判所が置かれており、コック首相は「国際社会とオランダが犯した失敗の結末を直視しなければならない」と政治責任をとったのである。
報告書は、脇坂紀行の二〇〇二年四月二十三日付『朝日新聞』朝刊の「オランダ部隊の失敗に学ぶ」によると、「起きうることを予見せずに部隊を送った責任」を厳しく指摘している。一九九三年、各民族が殺し合い、難民が大量に流出する映像がメディアを通じて放映され、人道的な介入を求める世論が沸き立つ。そこで、「国際的名声を欲した」政府は派兵を急ぎ、議会も危険性を追求することなく、支持している。スレブレニツァは、当時、国連が「安全地域」に指定しており、モスレム人保護のために、オランダは約二百名の部隊を派遣する。ところが、各派間の停戦合意が破られ、セルビア人勢力はモスレム人に激しい攻撃を加え始める。内務省の「直接の攻撃を受けない限り、反撃しない」規定に従い、軽装備のオランダ部隊は食料調達もできず、支援部隊も期待できない「地獄の中で自分たち自身が生き延びる」緊急事態に陥ってしまい、あの虐殺事件が起きてしまったのである。「人道的動機と政治的野望によって、政府は派遣を決めた。支えたのは政治とメディアだった」と報告書には記されている。
日本政府も、そこまで深刻な事態を招いていないが、「国際的名声」と「政治的野望」のために、失態を演じている。一九九七年七月、橋本龍太郎内閣総理大臣は、カンボジアの邦人を保護する「準備行為」として航空自衛隊の輸送機をタイに派遣している。この「準備行為」は自衛隊法だけでなく、他の防衛に関する法令にも見られない。しかも、現地についての情勢分析が十分でなかったため、自衛隊機は、何の仕事もしないまま、戻ってきている。為政者として恥ずべきことに、橋本首相はたんに自衛隊機を海外に派遣したという実績を作りたかったがために、法を無視し、無駄な出動命令を下したのである。
ニューハンプシャー・ガゼット紙が、二〇〇二年秋、「臆病なタカ派たち(The
Chickenhawks)」という特集記事を掲載している。そこには(http://www.nhgazette.com/chickenhawks.html)、正副大統領に始まり政治家、政府高官、マスコミ関係者の名前と病気や州兵応募など徴兵を逃れた事情(Lame
Excuse)が添えられている。それが大意落選を唱える有力者の大部分が戦争体験のないことを明らかにしている。つまり、文民であるか、軍人であるかではなく、戦争を英雄物語として捉えない批判的認識こそが安全保障においては不可欠である。
第六節 シビリアン・コントロールと皇軍意識
無法を行ったことに対する十分な自己批判もないまま、有事三法案では、内閣総理大臣に地方自治体の首長に代わる直接執行謙を付与している。日本は、憲法によって、議院内閣制と地方分権性を規定している。地方自治体の首長は、投票率の差こそあれ、選挙権を持つ住民の直接選挙によって選出されている。日本本土のために、沖縄県に犠牲になることを要求されて、直接選挙で選出され、沖縄県の住民の生命・財産を守ることを最優先する義務を負う沖縄県の首長がそれに応じないとしても、その態度が職務怠慢である非難はあたらない。地方自治法の代執行を根拠に、首長が首相に委託するならともかく、この首長に代わる執行権を間接的に選ばれる内閣総理大臣が、定義の曖昧な「緊急事態」において、可能にできる法案の法学的根拠には問題点も指摘されている。これはシビリアン・コントロールについての政府の認識を如実に示している。
自衛隊が緊急事態において超法規的に振舞わざるを得なくなるのを避けるために、政府は法整備が必要であるという根拠に基づいている。ところが、今回の有事三法案は超法規的行為の法的根拠づけである。自衛隊は司令官の指示によって民間の家屋を収容・撤去できるが、その保証に関してはまったく規定されていない。法にはその事項に関係する当事者間の利害の合理的な調停の機能があるのに、それが欠落している。これはシビリアン・コントロールをいかにかいくぐるかを念頭に置かれて、立案されているからである。法は権限をいかに拡大するかではなく、いかに制限するかのために制定される。その点で、自衛隊は、依然として、皇軍の意識から脱却できていない。今に始まった姿勢ではない。岸信介内閣総理大臣の治安出動要請を断る際、赤城宗徳防衛庁長官が、出動して、死傷者が出るようなことになれば、これまで気づいてきた自衛隊への信頼感が水泡に帰すだけでなく、国内は動乱状態に陥ると考えていたのに対して、旧皇軍出身の自衛隊幹部は、山本舜勝の『自衛隊「影の部隊」』によると、「もしクーデターを起こすのであれば自分たちの手で行いたい」とか「自民党と心中しない」と発言している。また、佐藤栄作内閣時に発覚した三矢研究では、戦時下に突入した場合、八十七に及ぶ戦時諸法案を委員会審議を省略して本会議にかけ、二週間で成立させ、国家総動員体制へと移行する計画を盛りこんでいる。これは国防研究に値しない。クーデター計画である。「ローマの衰退は過度の雄大さの自然的・不可避的な帰結である。繁栄が衰微、解体の法則を成熟させた。破滅の原因は征服の拡大とともに増大した」(エドワード・ギボン『ローマ帝国衰亡史』)。
植村秀樹は、『自衛隊は誰のものか』において、三矢研究に対して次のように批判している。
憲法と法律、それにもとづく政策によって自衛隊に与えられている枠、自分達に許されている限界をなんら考えず、自衛隊の都合によってすべてを動かすというおよそ非現実的なシナリオを作る、この意識が問題なのである。戦前の軍隊は国歌をのっとり、破滅させた。そのやり方を参考にして「研究」するという発想の貧困は、いったいどこからくるのか。
法よりも政治を優先してできたのが自衛隊も含めた戦後体制である。法は構成員のみならず、その外部に自らの正統性を信用してもらうために、不可欠である。不信感を払拭するには、法の遵守しかない。ところが、皇軍は最高責任者が責任をとらなかったため、その構成員にも戦争責任の意識が弱い。戦争責任に対する意識こそが戦後日本における法意識の表象であり、旧皇軍の構成員を受け入れ、また無責任化した日本社会を背景にした自衛隊の「発想の貧困」はここに由来する。
自衛隊には、納税者が納めた予算に基づいて動くプロフェッショナルではなく、組織の防衛・拡大を目的とするアドルフ・アイヒマンのようなスペシャリストであるという意識しかない。スペシャリストとプロフェッショナルは混同されやすいが、その両者を分かつのは倫理にある。先代からの蓄積した知識並びに自らの修練や体験を通じて技術を磨くエキスパートと違い、スペシャリストもプロフェッショナルは理論的な体系の裏付けを持っている。けれども、組織防衛を最優先するスペシャリストに対して、プロフェッショナルはクライアントとの契約の遵守を最優先し、説明責任を果たす職業倫理に基づいている。自衛隊のクライアントは納税者である。契約を「護る」ことの倫理性を自覚しているか否かが両者の違いである。「人類が人類の恩恵者たちよりも破壊者たちに対して相変わらず称賛を惜しまないかぎり、戦争も、結局、野心の際たる追及となろう」(『ローマ帝国衰亡史』)。
自衛隊は経済産業省や林野庁と同様の一行政組織であり、安全保障政策は他省庁、立法府、司法、そして何よりも世論が関係しているのであって、防衛庁だけで決まるものではない。自衛隊に欠けているのは主権者である国民によるシビリアン・コントロールに従わなければならない、すなわち身のほどを弁えなければならないというプロフェッショナルとしての意識である。
Blue-gun eyes 
Nice knife smile
Sure cuts you down to size
My-my
Crazy little razor
Boy, it's Sam-The-Slam
The Angry-Young-Man: BLAM-BLAM!
WAR HEAD:
Broke rhythm shot dead
Some squeeze,
Grip-of-steel, BOY
Got his girl in iron arms
Man, it's Ghinguis Khan
BOY; now he's going hotter
Well, throw him in the water
In your WAR HEAD
In your WAR HEAD
D-D-D-D-DROP-DEAD!
Boy; he's sure overheated
Well, put him in the freezer
In your WAR HEAD
In your WAR HEAD
D-D-D-D-DROP-DEAD!
Blitz Baby Blitz
Cracked soldier, cold shoulder
The Nark; he's Joan of Arc
Shellshocked, a sensation
With his bulletproof heart
Boy; Such a crazy little razor
Blue-gun eyes
Anice knife smile.
(Ryuichi
Sakamoto "War Head")
第五章 理念なき軍隊
第一節 日本「国民」の法意識
芦田修正により自衛隊の存在を憲法上正当化できる余地が生まれている。けれども、法に曖昧さがあったとしても、犯罪者並びに犯罪者集団ならいざしらず、少なくとも、三権に携わる者はその問題点を指摘しても、それを利用すべきではない。無理のある解釈は法の支配に関する不信を招き、法治国家の根幹を揺るがしかねない。自衛隊及び安全保障において、法に対する信頼感は、政府の姿勢のせいもあって、著しく低い。戦後を振り返ってみると、日本政府に法治国家としての認識があるのかと疑われかねない。
他方、西洋人は法治主義をあくまでも貫徹しようとする。アメリカの政治的思惑が入りこんでいたとしても、東京裁判で弁護を担当した木戸孝彦は、江藤淳との対談『もう一つの戦後史』の中で、「東京裁判というのは法律的だった」のであり、「法の維持のためには連合国のやっている少なくともサル芝居でも、法に頼るスタイル、法の優先を保ったのではないかとという感じが私にはします」と言っている。
この感想を受けて、西洋人がどんな「サル芝居」であろうと「それをつらぬくことにはいいようのない凄みがある」として、柄谷行人は、『法について』において、日本人の法意識を次のように述べている。
日本人にとって、法はいつも表層的な「サル芝居」でしかない。たとえば、ウォーターゲート事件の「違法」に対してアメリカ人が本気で憤慨するように、ロッキード事件に憤慨している日本人がいるとは思えない。どんなに騒いでも、すぐに忘れてしまうだろう。どうせ権力者は悪いことをやっているにきまっているのだからというわけだ。つまり、日本の権力を支えている論理は、「理性」ではなく、それが表層でしかないような”共同幻想”なのであり、言語化されない論理なのである。
日本の司法は法治主義の原則を承知しつつも、「統治行為」、すなわち高度に政治的な問題に司法が介入すべきでないという立場をとり、自衛隊の法的根拠を避けている。自衛隊の違憲性が問題となった裁判の中で、一九七三年、札幌地裁での長沼ナイキ基地訴訟第一審判決は、「九条は一切の軍備・戦力を放棄しており、自衛隊は違憲である」と判断したが、その他の訴訟はほとんど憲法判断に消極的であって、一九七六年、札幌高裁の長沼訴訟第二審、一九七七年、水戸地裁で行われた百里基地訴訟第一審などは統治行為論を採用して、自衛隊の合憲=違憲問題は司法審査の対象とはならないと判じている。また、最高裁も長沼訴訟や百里基地訴訟の上告審では憲法問題に触れずに上告を棄却している。安全保障は司法だけが決める問題ではないと司法は判断している。
しかし、憲法が権力を規制し、個人の基本的人権を保障するという大前提に反しており、行政組織や立法府に追従しているという印象はぬぐえず、人々の司法に対する信頼感は低い。不信感から生じたシニシズムが近代日本を覆い続けている。不信感自体ではなく、それがシニシズムを招くことが問題である。司法が法以上に政治を優先させることは、権力分立の原則に抵触しかねない。それは法治主義の放棄であって、徳治主義への回帰を司法が宣言しているのと同じである。
戦後、第九条の解釈=自衛隊の正当化が既成事実に対する代替案として続けられているが、この代替案はvisibleな既成事実へのvisibleな提案であって、その問題の構造を変革していない。この場合の具体性は慣れ親しんだ制度にすぎない。制度自身を転倒する抽象性を秘めた提案が望ましい。日本というinvisibleな現状における真の代替案はそういうinvisibleな提案でなければならない。
付け加えるならば、日本の司法が自衛隊や安保条約に踏み込まないのは、第二次世界大戦における戦争責任が政治的思惑のために不問にされたからである。責任をとらなければならない者が元の職に復帰し、戦争責任を不明確なままの状況で、司法も活動している。当局の極右の取り締まりは、ヨーロッパとは比較にならないほど、手ぬるいのみならず、司法の判決も極めて寛大である。アドルフ・ヒトラーがミュンヘン一揆を起こして起訴された際、被害者意識に満ちた当時のドイツ司法は彼に同情的な判決を下している。ナチスの台頭はワイマール憲法に問題があったのではなく、第一次世界大戦の戦争責任が不十分なまま、責任者が自己批判もなく要職に復帰したからである。戦後の日本は第一次世界大戦後のドイツと似た状況にある。日本の司法は、まず、自分自身を裁くべきである。
第二節 湾岸戦争症候群
すべての法がよいとは限らないし、法も現実に応じて見直し見直されなければならないのは言うまでもない。しかしながら、改憲論者が持ち出す現実は、憲法を改正する目的に合わせて構成されているにすぎない。彼らは法や現実よりも自分自身の思惑を優先させ、その姿勢は、憲法と比べて、信頼感に欠ける。日本人を「平和ボケ」と非難する彼らは、往々にして、「冷戦ボケ」であり、「脅威ボケ」である。法を守る義務を怠りながら、法の改変を要求するとしたら、それは著しい無法行為である。日本が法治国家であるという見せ掛けのためにのみ法を用意しようとしているにすぎない。
日本の軍備は、アメリカにとってのアジア並びに世界における日本の地理的な戦略的位置づけに基づいて、アメリカが要求してきたのである。安保条約締結時から、アメリカは日本が外国勢力に侵略を受ける可能性はないと判断している。日本は、その意味で、アメリカとの同盟関係によって平和が保たれていたのでもないし、アメリカの「核の傘」にあって防衛されていたのでもない。沖縄のアメリカ軍にしても、同盟国日本の防衛のためではなく。中東を視野に入れたアメリカの軍事戦略に不可欠だから、駐留している。八五年、米軍は三沢基地にF16戦闘機二個飛行隊を配置したが、それは欧州や中東でソ連との間で戦争が勃発したら、比較的手薄な極東から反撃するためである。ソ連が日本を攻撃した時に、アメリカ軍が自衛隊を支援するのではない。彼らはユーラシア大陸の反対側で戦争が起きたら、極東にそれを波及させる腹積もりでいたのだ。社会党のいわゆる「巻き込まれ論」の方がリアルなシナリオである。今回の有事法制のシミュレーションでも、日本が直接的に外国勢力と敵対するのではなく、アメリカなどをめぐって間接的に緊急事態にまきこまれる事態を想定している。「私は人を殺したくはありませんし、また殺されたくもありませんけれども、殺し殺されることが自分にとっても避けがたいような事態が、いずれ起るだろうと私は予測しています」(ヘンリー・デヴィット・ソロー『アメリカの革命』)。
中立はいかなる国や勢力とも手を結ばず、孤立・傍観・鳥瞰することではない。それはどのような国や勢力とも握手する用意があり、対立する相互間の媒介・触媒となることを意味する。中立は頑固さではなく、柔軟さから可能になる。対米追従が問題なのは、保険となるような選択肢を狭めてしまうからである。愛国的な動機ではなく、実用性から対米追従の強化は再検討すべきだろう。選択肢をできるだけ持つことが交渉には必要である。崇高なる理念実現のために、そうした態度は是認される。表面的な対立ではなく、それを生み出している根本原因に目を向け、櫂決していこうとする姿勢が中立にほかならない。
森毅は、『大学のペルー』において、ペルーの日本大使館占拠事件に言及しつつ、中立について次のように述べている。
この点で、盗聴装置などが差入れのなかにあったことが語られているのは、どうかと思う。語られなくとも、そうしたものがありうることは、噂になるだろう。でもそれは、噂の段階であるのが普通であって、今回のように公然と語られるのは納得がいかぬ。
再発を許さぬと言っても、起こることはありうる。そのときに、ゲリラ側が今回の経験から、一切の差入れを拒んだりすると、人質はかなり悲惨なことになる。仲介の中立性というものは、事件解決で結果オーライというものではあるまい。
むしろこのことに、マスコミや仲介役にとっての中立性が問われてはいないか。せっかくの軍事解決に水をさすとか、ゲリラの立場に理解することになるとか、言うこともあるまい。中立性というものは、そうした立場を超えてあるもので、なにかの立場を正義とすることで発生するものではない。
日本が非武装・中立を宣言したとしても、日本にとっては決して問題ではなく、アメリカにとって極めて許しがたい事態だったのである。アメリカは日本を中立ではなく、西側陣営に取り込み、再軍備はそのために不可欠だと見ている。むしろ、日本だけで考えるなら、スイスやスウェーデンなどのように、大国に利用されるのを避けるためには、武装・中立の方がましだったと考えることもできる。日本の軍備は西側陣営の一員としての認知、日本国内の保守派の満足、並びにアジア諸国の懸念のバランスを損ねない程度であればよい。アメリカは日本以外にもフィリピンやタイなど他のアジア諸国とも同盟を結んでいる。日本がアジア諸国から信頼感を得ていないことはアメリカにとって好都合である。非武装・中立を宣言した場合、アメリカからさまざまな圧力がかかることは想像に難くない。しかも、日本は戦争責任を明確にしなければならない。日本の保守層はそれを利用し、既成事実として再軍備を果たしてきた一方で、革新層は国内では対抗軸に終始し、自分たちの理論を世界に訴えることをしてこなかったのである。両者ともアメリカに反発を覚えていたとしても、政治的・経済的に、アメリカなしには日本はやっていけないという点でも一致している。実は、戦後のみならず、戦前も、日本の最大の貿易相手国はアメリカである。しかしながら、いかなる国もアメリカなしには立ち行かないし、アメリカも他国なしには活性化できない。アメリカの世界戦略に問題があったとしても、日本の立法と行政は、アメリカの外圧を利用したこともあるが、理念がないために、結局、ただふりまわされてきたのである。日本には「外交のコツ」が欠落しているからだ。「外交というものは、できるだけいろんな情報を知ることが必要だが、秘密の情報を持っていることを威張りたがる人のところへは、良質の情報は入ってこない。秘密をきめこむより、楽しい情報はなるべくふりまき、人をおとしいれる情報はとめてしまうのが、外交のコツである」(森毅『ボクの京大物語』)。この「コツ」は外交に限らず、三権やマスメディアの人々に対するコミュニケーション一般にも言える。
それが湾岸戦争で明確になる。一九九〇年、イラクがクウェートに武力侵攻し、アメリカ軍を中心とした多国籍軍の派遣が決定し、湾岸戦争が始まる。日本政府は自衛隊の海外派兵は不可能であるとの見解に従い、湾岸戦争の過程で日本は多国籍軍には参加せず、総額百三十億ドルの経済的支援を実施したが、提案する絶好のタイミングを逸し、国際社会からの評価は芳しくはない。前線と後方の区別が消滅した現代の戦争において、戦費の提供は重要な貢献であり、明らかに、政府・外務省の方法に失敗がある。「国際的名声」と「政治的野望」のため、「経済大国」となり、国連安保理事会の常任理事国入り問題をかかえた国家として、外務省を筆頭に行政からも、自民党からも、これまでの政策の見直しを求める動きを示している。日本外交は、戦前・戦後を通して、名誉白人として認知される欲求に支えられている。
経済力に見合うだけの防衛力を備え、国際貢献すべきという発想は問題のすり替えである。日本が豊かな経済力を持っているのであれば、富の再配分を提言すべきであって、それが軍事力に転換するのでは、世界平和に貢献することにはならない。また、資金を支援するにしても、理念がなければ、国際社会から評価されない。問題なのは日本の行政・立法が理念なき政策を続けていることであり、湾岸戦争症候群はその顕在化であって、日本的スノビズムを改めない限り、治る見込みはない。
ところが、日本の政界はこれを自覚していない。一九九一年四月には湾岸戦争の後始末のため自衛隊の掃海艇の初めての海外派遣が決定され、九二年六月には国連平和維持活動(PKO)協力法が成立して自衛隊のPKO参加が可能となる。直接的な軍事行動に参加することが国内世論の反応から時期尚早と政府が判断したからだけでなく、実戦経験のない自衛隊であるが、海上自衛隊はアメリカ軍との合同演習の実績も長く、他国の軍隊との共同行動も慣れているという理由で、海上自衛隊がペルシャ湾に派遣されている。以後、九二年九月にカンボジア、九三年、モザンビーク、九四年、ザイール(現コンゴ民主共和国)、九六年にはゴラン高原に自衛隊が派遣されている。ゴラン高原に自衛隊が出動している事実をシリア人で知っている者は少ない。結局、この間も、政府の理念のなさは一向に改善されていない。自衛隊は戦力なき軍隊ではない。理念なき軍隊でしかない。「理念は、理念的関係のシステムとして、つまり相互的に規定可能な発生的要素の間の微分的関係としてあらわれる」(ジル・ドゥルーズ『差異と反復』)。ある事象に対する言語による説明は、その背後に潜んでいるさまざまな関係性に規則を与えていることを表明しているのであって、理念はそうした規則にほかならない。理念の欠落は規則の拒否の表われである。
森毅は、『政治の絵柄』において、「国際貢献」をめぐる一連の動きについて次のように述べている。
人を出すにしろ出さぬにしろ、金を出すにしろ出さぬにしろ、その身のこなしには風格というものがある。逆に、風格がなければ、どうしたってみっともよくない。日本が一番だめなのは、横ならびの思想にとらわれていることだろう。よその国もやっているのだから日本もやらねばならぬとか、よその国が撤退してくれれば日本もできるのだがとか、そんな言葉を政治家に言ってもらいたくない。進むのだって退くのだって、他国にさきがけて行うのがかっこよく見えることもあるものだ。
進むときは、退くことを考えて進むものだ。退くときは、進むことを考えて退くものだ。進むと退くの双方の可能性をひろげておくことで、判断にゆとりができて風格も生まれる。一つの結論へ向けて、他の選択肢を否定をしたがっていたのでは、狭くなって他国の思惑にふりまわされるぐらいしかできない。可能性をひろげていくことは、どんなゲームでも有利なはずだ。
日本には日本の歴史的ないきさつがあるし、国連には国連の歴史的ないきさつが合って、それが食いちがうくらいは当然のことだ。その一方だけで考えるのは、もともと無理なはず。ここで、食いちがいのあることを、マイナスと考えることはあるまい。食いちがいがあるからこそ、国連にしても日本にしても、今後のあり方の手がひろがる。
結論によって二分したって風格をつけて手をひろげる役にたたぬ。双方の可能性をひろげたうえで、実際にはそのときどきの判断をすればよい。どうも、結論を先行させたがる議論が多いのが気にいらない。そして、そうした判断のためには、歴史の風景の絵柄が見えねばならぬはずなのに、想像力が抑制されているのが気にいらない。結論へ向けての単純化のために、想像力を抑圧したがっているのかもしれぬが、それではゲームだって勝てまい。それぞれの結論を決めておいて勝手に論ずるのでは、夕涼みの縁台での政治談義と変わらない。
そもそも「歴史的ないきさつ」は重要な外交カードになり得る。交渉は全権委任されている方がうまくいくとは限らない。むしろ、全権委任されている代表者が行う方が、自分の影響力を相手側に誇示するために、不利な条件で妥結する場合が多い。交渉は要求と譲歩の弁証法で成り立っている「ゲーム」である。制約の中で、うまく振舞うのがゲームであるのに、自分の失敗をルールに求めるのは本末転倒である。政府や外務省、自民党は「国際的名声」と「政治的野望」を優先するあまり、交渉というものを見失っている。彼らは交渉者としての無能を責めるべきであるのに、「国際貢献」が評価されなかったのを憲法のせいにしている。湾岸戦争症候群はそうした防衛機制である。自分たちのプライドを守るために、主権者を無視したのである。
第六章 不信感の産物
第一節 日本的スノビズムとしての自衛隊
一九五四年十二月、日本民主党総裁の鳩山一郎を首班とする内閣が発足する。自主憲法制定・再軍備を持論として掲げていたが、鳩山首相は憲法改正と国軍の創設という既成事実に主眼があり、経済を悪化させる防衛力増強には消極的姿勢をとっている。
鳩山首相の軍備に関する認識は砂田構想に顕著に見られる。砂田重政防衛庁長官は防衛庁の防衛省への昇格と郷土防衛隊の創設という構想を発表する。防衛庁の防衛省への昇格は社会党だけでなく自由党も反対した上、省庁間の縄張り争いが加わり、頓挫する。政治的成果を求め、一九五六年十月、鳩山首相はモスクワを訪問し、日ソ国交回復を果たす。その年の十二月、日本は国際連合に加盟している。郷土防衛隊は十八歳から四十五歳までの志願兵によって組織される民兵集団であるが、現実的な防衛力と言うよりも、反共意識や日本人としての気概を育成するのを目的としている。
当時の保守層の間でさえ、防衛上の危機意識は希薄である。鳩山一郎は改憲・再軍備を主唱しているものの、ソ連軍が日本に上陸してくるとは考えていない。砂田防衛庁長官は自衛隊を日本共産党の勢力拡大と彼らによるクーデターから守る防共隊とさえ位置づけている。
大嶺秀夫は、『政治過程の比較分析』において、当時再軍備を主張する政治家が次のように考えていたと述べている。
日本の若者は、それまで反共の精神的盾ともなっていた(と彼らが考える)皇室への敬愛を失い、共産主義の宣伝に弱くなり、アメリカの消費文化のために軟弱になって、クーデターに対して体を張った抵抗が期待できないと判断していたためである。また、アメリカに自国の防衛を依存しているために、国を守る気概を失っていると重大な懸念をもっていた。したがって、再軍備によって、自分の国を守る気概を与え、また徴兵制の導入によって軟弱な若者を鍛え、ナショナリズムを喚起すべきであると考えたのである。再軍備を将来の課題と考えていた吉田も、この時期から道徳教育の導入によって、ナショナリズムを復活、喚起する必要は痛感しており、その観点から教育政策において、鷹派的な立場をとった。
むろん、吉田も鳩山も軍国主義の復活は望まなかったが、戦前の軍国主義の登場は国民の自立性の欠如、彼らの表現で言えば「付和雷同する日本人の国民性」に由来するものであり、戦後は、この付和雷同性は共産主義に対する同調となると懸念し、そのためにも道徳教育が必要であると考えたのである。大衆に対する不信という点では、左翼エリートと共通するものをもっていた。
一九五一年十月の第五回全国協議会においてアメリカの従属からの解放を目指す新綱領を採択して、農村でのゲリラ戦を最重要闘争として山村工作隊を組織し、全国から学生を農村に送りこむ共産党もそうだとしても、「アメリカの消費文化のために軟弱」になり、「アメリカに自国の防衛を依存している」ことによって失われたとするなら、保守派の考える「気概」は誇りと言うよりも、彼ら自身の劣等感の顕在化である。古代ギリシアの喜劇作家アリストパネスは、戦争について、『女の平和』の中で鋭い指摘を行っている。戦争に明け暮れる男たちに対して、女が性的ストを決め、それにより、和平が到来する。戦争はたんなる略奪・破壊行為ではなく、性的な問題を秘めている。男が好戦的で、女が平和的なのではない。戦争は去勢コンプレックスに起因しているとアリストパネスは指摘している。これが重要である。戦時における「従軍慰安所(Joy
Division)」の設置や絶えない兵士による性犯罪がそれを実証している。保守派の政治家は去勢コンプレックスにとらわれ、それによって自衛隊を創設したのである。性教育の充実を訴えるフランスの快楽党の党首シンディ・リーは「戦争をやめて、セックスをしよう」というスローガンで、二〇〇二年のフランスの総選挙に臨んでいるが、「自民党を変える。日本を変える」とは比較にならないほど、これは極めて本質的な政治スローガンである。彼女への投票どころか、快楽党に入党したいくらいである。
Praise to the glory of loved ones now gone
Talking aloud as they sit round their tables
Scattering flowers washed down by the rain
Stood by the gate at the foot of the garden
Watching them pass like clouds in the sky
Try to cry out in the heat of the moment
Possessed by a fury that burns from inside
Cry like a child though these years make me older
With children my time is so wastefully spent
Burden to keep, though their inner communion
Accept like a curse of an unlucky deal
Laid by the gate at the foot of the garden
My view stretches out from the fence to the wall
No words could explain, no actions determine
Just watching the trees and the leaves as they fall
(Joy Division “Eternal”)
その去勢コンプレックスを民衆への不信感が増幅する。自衛隊はこうした去勢コンプレックスと不信感が生み出した存在であり、有事法制において、後に詳しく言及する罰則規定が盛りこまれるのは必然的である。
吉田や鳩山は自衛隊を国内の治安維持の目的を最優先に考えている。これは自衛隊に治安出動を要請した岸信介と同じ認識である。彼らは軍隊がいかなる存在であるかをまったく理解していない。国防は治安・災害とは性格が異なる。軍隊は、国防のために、破壊・殺害をする行政組織である。隊員は治安維持や災害救助を目的に訓練をしているわけではない。それを専門に訓練を続けている警察や消防を使う方が効率的である。デモ隊をできる限り死傷者を出さず鎮圧することなど機動隊以上に自衛隊にはできない。暴徒化した場合、デモの首謀者並びに扇動者を検挙・逮捕し、その上で、起訴をし、公判を維持できるだけの証拠・証人を集めなければならない。また、防災においては地域に密着した消防の方が効力を発揮できる。「どうにも退屈でやりきれない、地上へおりてみようか。神になれなくとも、悪魔にはなれるだろう」(ハインリヒ・ハイネ『帰郷』)。
しかも、本来、軍隊は教育機関ではない。軍隊が教育するのは国防に関する破壊・殺害の方法と守るべき規律である。思想・心情の自由に軍隊が立ち入ることは、近代法では、できない。そもそも、志願兵と比べて、徴兵制によって召集された兵は動機付けが弱く、兵士としてなかなか向上しない。また、各部隊において、チーム・ワークや連帯感が不可欠であるのに、強制的にかき集めた兵士ではそれが希薄となり、任務を十分に遂行できない恐れがある。愛国心に訴え、本格的に、徴兵制によって集めた兵士を戦場に送り込んだのは第一次世界大戦が初めてである。そもそも、アメリカは独立戦争後に軍隊を解散し、軍隊を持たない国であり、その後、再創設したものの、戦争が終わる度に、規模縮小を繰り返している。軍の拡大に対する世論の圧力が弱まったのは第二次世界大戦以降である。”Patriotism
is the last refuge of a scoundrel"(Samuel Johnson).その時でさえ、すでに兵士のレベルの低さは問題になっている。はるかに高度で複雑化した現代戦が徴兵制で行われるほど甘くはない。現代戦は量ではなく、確実さという質がその結果を左右する。合衆国は、今では、徴兵制を廃止している。徴兵制は過去のものでしかない。防衛庁の付属機関として防衛大学校、防衛医科大学校、防衛研修所、技術研究本部、調達実施本部、自衛隊離職者就職審査会がある。防衛大学校は幹部自衛官の教育訓練を、防衛医科大学校は医師である幹部自衛官の教育訓練を、防衛研修所は自衛隊の管理・運営に関する基本的な調査研究や幹部の教育訓練を行う。技術研究本部は自衛隊の装備品についての技術的調査研究や設計・試験などを、調達実施本部は装備品の調達に当たる。自衛隊離職者就職審査会は自衛隊員が離職後に、在職中の職務と密接な関係があった企業などの役員として「天下り」する場合の審査を行う。道徳教育が自衛隊をめぐる議論と同時期に論じられるのは国民国家の性質に起因する。確かに、国民国家において常備軍が学校と並んで国民を生産する機関であるが、封建制から近代に入った状況下でも身分制からの解放を意味している。軍隊は納税者の収める税金によって運用されているのであって、それを損ねるような行為に至る教育を指導するとしたら、背任行為である。
アレキサンドル・コジューヴは、『ヘーゲル読解入門』の中で、こうした心情を「スノビズム」と呼んでいる。人間が人間的であるためには、「動物」のように環境に柔順になるのではなく、環境を否定する行動、すなわち自然との闘争を経なければならない。ところが、「スノビズム」は、環境を否定する理由がないにもかかわらず、「形式化された価値に基づいて」、それを儀礼的に否定する行動様式である。スノッブは、「動物」と違って、環境と調和することを拒否する。否定の契機がなかったとしても、意図的に、環境を否定し、形式的な対立をつくりだし、その対立に耽溺する。日本的スノビズムの典型が「切腹」である。「切腹」は、実質的には死ぬ理由がないにもかかわらず、名誉や秩序といった形式的な価値に基づいて、実行される。しかし、これはあくまで儀礼でしかなく、歴史を動かす力にはならない。十九世紀の半ば、イギリスの小説家ウィリアム・メイクピース・サッカレーの作品を通じてその言葉が普及したように、スノビズムは神の死と共に出現している。スノッブは、鈴木道彦の『プルーストを読む』によると、「一つの階層、サロン、グループに受け入れられ、そこに溶けこむことを求めながら、その環境から閉め出されている者たちに対するけちな優越感にひたる人々」である。封建制がまだ残っている十九世紀では新興のブルジョアジーがスノッブの中心だったが、大衆社会に突入した二十世紀になると、誰もが、程度の差こそあれ、スノビズムに染まっていく。切腹は歴史とは無縁の究極のスノビズムであろう。三島由紀夫が、一九七〇年十一月二十五日、市谷の駐屯地で、自衛隊にクーデターを呼びかけた後、切腹しているが、その意味で、彼並びに殻の自衛隊に関する認識はスノビズムにすぎなかったのである。
スノビズムに対抗する姿勢としてダンディズムがある。シャルル・ボードレールの『現代生活の中の画家』によると、ダンディーは精神主義や禁欲主義と境界を接した「自己崇拝の一種」であり、「独創性を身につけたいという熱烈な熱狂」であって、「民主制がまだ全能ではなく、貴族制がまだ部分的にしか動揺し堕落してはいないような、過渡期にあらわれ」、「デカダンス頽廃期における英雄主義の最後の輝き」である。近代日本は戦前には脱亜入欧、戦後になると対米追従というスノビズムに支配されてきたため、一般に、毅然とした態度のダンディズムヘの憧れが非常に強い。戦後の日本の対米追従はヘロデ王のローマへの忠誠を思い起こさせる。けれども、貴族制が完全に後退した二十世紀において、スノビズムがあまりに凡庸であったとしても、ダンディズムは陳腐なアナクロニズムにすぎない。そういったダンディズムを目指すこと自体凡庸なスノビズムであろう。「スノビズムか、ダンディズムか」という二項対立ではなく、両者の弁証法的な止揚が志向されないまま、ダンディズムを目指しながら、スノビズムが日本の外交姿勢として現在に至るまで続いている。
二〇〇二年五月八日、福田康夫官房長官は、衆院有事法制特別委員会で、武力攻撃に備えて、平時から訓練を行う民間防衛団体の編成、すなわち「国民訓練」を検討すべきだという考えを示している。半世紀近くも経っているというのに、自衛隊を含む防衛は、政府・与党にとって、依然として砂田構想の域にある。時代の変化に対応するという有事法制整備の前提がまやかしにすぎず、砂田構想の実現が政府・与党の真の目的である。彼らはまともに安全保障を考える気などない。有事法制をめぐる議論は国会史上に残る税金と時間の無駄遣になると見られている。
そもそも、世界的に、こうした民兵こそが治安維持どころか、独立をめぐる事態を深刻化させている。民兵の非人道的な行為は、ここ最近でも、レバノンやコソボ、東ティモールなど例をあげればきりがない。政府・与党は世界の恒久平和に貢献すると言いながら、自分たちの「悲願」のためには、世界を無法状態に陥れることさえ厭わないという非人道的な姿勢をとっていると見られてもやむをえないことに気づいてもいない。これが日本をめぐる最大の危機である。
第二節 防衛力の限界
警報の発令や避難の指示、被害の復旧措置など国民の生命・財産を保護する法整備は「二年以内を目標に実施」すると後回しにされているにもかかわらず、今回の武力攻撃事態法案と自衛隊法の改定案には、市民に強力義務が盛りこまれている。憲法第十三条には、「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」と記されており、権力が「個人の尊重、生命・自由・幸福追求の権利の尊重」を「最大の尊重」をもって保障しなければならないという命令を無視することにつながりかねない。防衛庁長官または「政令で定める者」が「従事命令」を医療や建設、運輸関係者に発動できる。また、自衛隊が民間の家屋を徴用・撤去し、物資を収用、業者に「保管命令」を出せる。しかも、「保管命令」に違反した場合、六ヶ月以下の懲役または三十万円以下の罰金に処せられる。自衛隊には自衛が国家を防衛するのではなく、住民を防衛するという認識に欠けているのであって、皇軍の意識からまだ脱却できていない。
坂田道太防衛庁長官が画期的な防衛政策を立案できたのは、彼が国民を信頼していたからである。彼は、『小さくても大きな役割』の中で、「どんな精強な自衛隊であっても、また、どんな優秀な武器を保有していても、国民の理解と、支持と協力がなければ、真に有効な国を守る力とならないし、国民の一人一人の生存と自由を確保できない」と記している。坂田道太を超える防衛庁長官は、今に至るまで、登場していない。
こうした信頼感の重要性を現在の防衛庁は認識していない。武力攻撃事態法案には、武力攻撃が現実に発生した場合だけでなく、その「おそれのある場合」または「予測されるに至った事態」にも適用されると明記されている。
今回の有事法制に対して、「予告編だけつくって、アカデミー賞をとらせろと言っているようなもの」と厳しく批判している田岡俊次は、二〇〇二年四月十八日付『朝日新聞』朝刊の「脅威消え描けぬ定義」において、両者の違いを次のように解説している。
前者は以前から自衛隊法の「防衛出動」の発令の用件であり、校舎はその前段階「防衛出動待機命令」を出すとして用いられた表現だ。
在日米軍は昨年9月11日のテロ攻撃以来、厳重な警戒態勢をしいている。外部からの武力攻撃のおそれがある、と判断したためだ。米軍基地が日本にある以上、日本政府が「おそれあり」と判断し、武力攻撃事態法が成立すれば発動することも不可能ではない。
NHKも「指定公共機関」として国への協力を義務付けられ、そうした措置への批判的報道は許されるか、という疑問もある。米軍のアフガニスタンや中東での行動が日本への攻撃の「おそれ」や「予測される」事態を招き、「周辺事態」以上に範囲が拡大することもありうる。「外部からの武力攻撃」とは、いかなる規模のものをさすか、明確にしていくことも必要だろう。
「脅威」は敵をvisibleにすることであるが、現在はinvisibleな時代であって、「脅威」に基づく政策は短絡的発想にすぎない。田中角栄内閣当時、増原恵吉防衛長官の下、一九七一年、久保卓也防衛局長が防衛政策を「脅威」を根拠とすることからの脱却を説いている。これは、周辺諸国との軍事的能力を基準に、反作用として、それに対抗するために防衛力を整備するのではなく、政治的な立場、すなわち国際的な安定を図る立場に立脚し、適切な防衛力を保持する発想であり、「防衛力の限界」と呼ばれている。この名称は、一九七〇年、グローバルな視点に立ち、科学者や経済学者、経営者などの世界各国の民間人によって構成されたローマ・クラブが公表した世界に警鐘を鳴らす報告書『成長の限界』に由来する。「防衛力の限界」が生まれた背景には、米中接近と日中国交回復という国際情勢の変化がある、国際情勢が流動化していく中で、「脅威」に根拠付けられた防衛力ではそれに対応できない。「脅威」は不信感に基づいており、それに立脚している限り、さらなる不信感の連鎖を招く。制服組や国防族は仮想敵国の「脅威」に対抗するという前提で、防衛力を増強し続けてきたため、激しく反発し、野党からも厳しい追求を受けてしまう。結局、久保構想は、この時は、実現に至らなかったが、次の三木武夫内閣の防衛庁長官坂田道太が採用する。けれども、坂田長官でもこの部分を変えることができず、「脅威」から脱却した防衛政策は、『成長の限界』が提起した諸問題が深刻化している現在に至るまで続いている。
第三節 不明確な定義
日本政府は、安全保障に関する法令において、「明確」にしない姿勢をとり続けている。「おそれ」は外国勢力に向けられていない。「おそれ」は、基本的に、日本政府が市民に対して抱き続けた感情である。
けれども、「明確」な定義は国民国家体制では不可欠である。国民国家は国歌・国旗によって象徴されている。国民国家はシンボルの国家であり、定義は曖昧であってはならない。一義的であることが絶対的な条件である。多義的な定義は国民国家の前提を覆すことになる。法による明確な定義があって、初めて、国民国家は法の下での国民の平等を保障することを可能にしている。
平等の発想は決して近代から始まったわけではない。紀元前五世紀、アテナイのソフィストであるアンティポンは「自然によって人間はバルバロイもヘレネスも万事同じように生まれついている」と主張している。また、古代ローマでは、ローマ市民にのみ適用される市民法と征服された諸民族にも共通に適用される万民法があり、この万民法の前提があって、キリスト教が普及している。平等への意志は長い歴史を持つ。
ただ、これらは法の下での「国民」の平等ではない。権力が法の下で「国民」を平等に扱わなければならないという前提が近代であり、それが近代的法治主義の原則である。「平等はあらゆる善の根源であり、極度の不平等はすべての悪の根源である」(マキシミリアン・マリー・イシドル・ド・ロベスピエール)。
第四節 Power To The People
日本政府は、憲法の第一条に「象徴」という記述があるにもかかわらず、その一義性をないがしろにしている。その歴史性を議論する以前に、一九九八年に制定された国旗・国歌法において、日本の国旗を日章旗と規定しながら、赤丸の色を「紅色」とのみ記されている。三原色の組み合わせによって明確に示せる国際標準規格に基づいた色の規定はなく、曖昧であり、シンボルの意味をなしていない。近代における「象徴」は「統合」を意味する。より正確には、象徴によって国民並びに国家は統合=画一化されなければならないというのが国民国家体制の重要な根幹の一つでありながら、それを曖昧にし、だからと言って、新たな体制を唱えるわけでもない日本政府には「理念」が根本的な欠落している。
為政者が「明確」さを避け、「おそれ」を抱いている人々はたくましく生きている。占領軍の「民主化」政策は個人的自由と集団的自己決定を人々にもたらしたとしても、労働組合は自然発生的に結成され、街頭演説やデモには自主的に参加したのである。ジョン・ダワーは、『敗北を抱きしめて』において、敗戦直後の改革に燃える民衆の姿を綴っている。「敗北を抱きしめて」いたのは、けれども、敗戦後の日本の民衆だけではない。
預言者イザヤは、『イザヤ書』十章五─六節において、次のようなヤーヴェの言葉を伝えている。
災いだ、わたしの怒りの鞭となるアッシリアは。彼はわたしの手にある憤りの杖だ。
神を無視する国に向かって
  わたしはそれを遣わし
わたしの激怒をかった民に対して、それに命じる。
「戦利品を取り、略奪品を取れ
野の土のように彼を踏みにじれ」と。
イザヤがイスラエルを滅ぼしたアッシリア軍を神の兵隊と人々に説いたとき、ユダヤの民族神にすぎなかったヤーヴェは、他の民族の軍隊をも動かす世界最高にして唯一の神になったのである。かくしてユダヤ教は世界宗教への道を歩み出すことになる。日本の民衆は占領軍をこのように見ていたのであり、日本国憲法は、民衆にとって、律法にほかならない。平和憲法には世界宗教=国際法につながっていく側面がある。
さらに、一九九五年に起きた阪神・淡路大震災の際、被災者だけでなく、数多くの市民がボランティア活動に立ち上がっている。彼らは、誰に命令されたわけでもなく、自主的にお互いに協力している。あの時、最も醜態をさらしたのは、市民を「付和雷同」と捉えてきた政治家や官僚、メディア関係者である。「その点で、行政はボランティアを管理しようとしたのが失敗。ボランティアというのは、たまたま出会った人が勝手に助けあうのが原点で、偶然の論理に属して、行政がシステムの秩序を管理する論理に属さない。運のいい人に出会うと助かるもので、平等の秩序は行政の人工に属する。行政がボランティアを管理しようとしてパイプがつまった。このごろになって、危機管理マニュアルなんていうのもおかしい。管理マニュアルでやってられないのが危機というものであって、危機管理というのは言語矛盾ではないか。マニュアル事態が、危機というもの。地震は、自然の人工への報復であって、この期に及んで、管理の人工に期待することもあるまい。(略)大きなプレートは動いている。ときには、ひびが入ったりする。動かないことを前提にしていた人工のシステムが崩れることだってある。それでも、人間は明るく生きていけるし、たまたま出会った人間同士で連帯できるものだ。神戸の人たちは、そのことを教えてくれた。人間の根源の希望は、災害を超えて現れる。神戸のみなさん、ありがとう」(森毅『時代のプレート』)。
Power to the
people
Power to the
people
Power to the
people
Power to the
people
Power to the
people
Power to the
people
Power to the
people
Power to the
people, right on
Say you want a
revolution
We better get on
right away
Well you get on
your feet
And out on the
street 
Singing power to
the people
Power to the
people
Power to the
people
Power to the
people, right on 
A million
workers working for nothing
You better give
'em what they really own
We got to put
you down
When we come
into town 
Singing power to
the people
Power to the
people
Power to the
people
Power to the
people, right on 
I gotta ask you
comrades and brothers
How do you treat
you own woman back home
She got to be
herself
So she can free
herself 
Singing power to
the people
Power to the
people
Power to the
people
Power to the
people, right on
Now, now, now,
now 
Oh well, power
to the people
Power to the
people
Power to the
people
Power to the
people, right on 
Yeah, power to
the people
Power to the people
Power to the
people
Power to the
people, right on 
Power to the
people
Power to the
people
Power to the
people
Power to the
people, right on 
(John Lennon “Power
To The People”)
ところが、対米支援の目的で、インド洋に派遣されている自衛隊艦船・航空機の修理・補修のため、石川島播磨重工他複数の防衛関連業者に対して、技術者を基地に送ることを要請している。日本には、民間人の戦時下での動員を正当化する法制はない。法を考慮せず、民間人を自分たちの都合にあわせて利用しようという皇軍意識が依然として強く残っている。また、イージス艦の派遣をアメリカが要請していると日本の政府・与党は言いつづけていたが、二〇〇二年五月六日付『朝日新聞』朝刊によると、実は、海上自衛隊の幹部がアメリカ軍に工作していたことが明らかになっている。自衛隊が、米軍を通じて、既成事実を積み上げようとしていたのである。アメリカからの外圧に弱い政府と国際貢献の強迫観念に怯える外務省、有事法制に関して態度を決めかねている世論を誘導するために、自衛隊には組織の防衛・拡大しか眼中にない。自衛隊は、根本的に、法を守る義務への意識を持っていない。自衛隊が軍隊でないために、軍法さえ規定できないから、軍隊とすべきだという主張は、自衛隊は国家・国民を守る組織であるという以前に法を守る意識を欠いている現状では、本末転倒にすぎない。
自衛隊は、発足以来、国際情勢から乖離し続けているだけでなく、このように民衆に対する不信感に基づいており、その意味で、解散の要求が起きても、やむを得ない。
解散するには、言うまでもなく、最高裁が自衛隊に対する違憲判決を出そうが出すまいが、法治国家である限り、無数の法改正を行わなければならないし、また、解散に伴う国内外を問わない政治的・経済的・社会的影響は大きく、現実的には、規模縮小はできても、解散は困難であろう。しかしながら、後に詳しく言及する通り、支配的な体制として国民国家体制からコモンウェルス体制へと移行し、さらに新たな体制を模索している。その歴史の流れを見極め、それを踏まえた理論を訴えることが世界にとって最大の安全保障であることを忘れてはならない。
第七章 文化と軍備
第一節 文化政治
前の章で触れた改憲・再軍備が文化的イデオロギー化した理由の一つに、五五年体制成立前後の左右両勢力における選挙事情が挙げられる。
保守勢力は、現在のように後援会組織も未発達であり、地方に補助金の獲得や公共事業の誘致による集票の手法もまだ確立されていない。そこで、ナショナリズムに訴えて、旧軍人とその遺族、地方の農村や都市の下町などの保守層の票を獲得している。「軍服の持つ性的効果、むやみに性欲をかり立てるリズムにのった観兵歩調行進、自己顕示欲まるだしの軍事行為、これらはすべて、われらが博学の政治家よりはそこらの店員や秘書嬢がしっかりとつかみとっていた」(ヴィルヘルム・ライヒ『ファシズムの大衆心理』)。
他方、こうした手法は、逆に、都市の中間層には強い反発を招いている。それを踏まえて、革新勢力は組合には支持を伸ばしているものの、さらなる拡大のために、有権者に対して憲法改正・再軍備が戦前への回帰につながり、価値観の多様性に対する重大な挑戦であると主張を繰り返し、票を集めている。当初、戦後日本における社会主義や共産主義は、他のアジア諸国とは違い、帝国主義に対する民族自立運動ではない。むしろ、政治的自由を体現する反軍国主義として機能したのであり、有権者は政治的自由を求めて、投票したのである。
さらに、日本社会党から西尾末広ら右派が離党して、一九六〇年、民主社会党が結成されている。一九六九年、略称として使っていた民社党に正式に改称している。保守政党の腐敗、社会党の容共化に対抗するという姿勢をとっていたけれども、政治的イデオロギーだけでなく、彼らの選挙事情も無視できない。社会党の末端は左派の支持者が多く、選挙の度に、右派の党内での発言力が失われていく。それを打開する目的で、新党結成に踏み切っている。しかも、民社党は全日本労働総同盟を支持基盤としていたが、その中には軍事産業の労働組合を入っていたため、安全保障に関しては、自民党の主張よりタカ派だったのである。軍事産業はよりタカ派の政権になってくれた方が発展できる。労使双方の利益は、この点で、一致する。
社会学者の綿貫譲治は、『日本政治の分析視角』の中で、日本の政治を伝統文化と近代文化の価値意識の対立であると捉え、「文化政治」や「価値政治」と呼んでいる。日本の政治は、確かに、左右の対立ではなく、価値の多様性を認めるか否かをめぐって争われ、改憲・再軍備がそれを代表している。しかしながら、軍備を文化と捉える認識は、むしろ、本質的である。
第二節 メディアの役割
政治を法によって動かすことは難しい。文化によって政治に圧力をかけ、法の遵守を達成させるほかない。文化において、過去と未来が現在に流れこんでいる。文化には伝統性だけでなく、先見性も見てとれる。
軍備を文化から論じるとしたら、メディアの役割はより重要になる。三権分立のような古典的な権力分立、すなわち静態的機関分立から、多元権力分立といった現代的な権力分立、すなわち動態的機関分立へとシフトしている時代において、ジャーナリズムも従来の報道姿勢から脱却すべきである。メディアを権力の監視もしくは第四の権力として見なすのは時代遅れである。
森毅、『政治とジャーナリズム』において、ジャーナリズムの役割について次のように述べている。
ジャーナリズムの役わりを、世論をリードするとか、時代の流れを読むとかいうのは、今の時代にそぐわない、そうした一つの方向へしぼりこむのではなくて、世間の見方をひろげ、時代のまだ不確かなものを感じさせることのほうが、ジャーナリズムには望ましい。しぼりこむことよりも、ひろげること。
九月十一日以降、アメリカのメディアは世間の見方を「一つの方向へしぼりこむ」ことに躍起になっている。マスメディアよりも、インターネットなどのパーソナルメディアによって相対化され、「世間の見方」を「ひろげること」が進んでいる。
日本では、政府や省庁の研究会に、新聞や放送局の論説委員が名を連ねているケースが多い。彼らは外部にいて批判するだけでは不十分であり、内部から改革するために、参加していると釈明しているが、これが談合であることに気がついていない。政治家や官僚が民主的な手続きを形骸化するのに協力している。住民基本台帳ネットワークをマスメディアの現場の記者たちは反対しているけれども、論説委員たちは総務省の研究会に参加し、答申に賛成している。メディアが率先して「世間の見方」を「ひろげること」を放棄し、「しぼりこむこと」を推進しており、自らの役割を果たしていない。
しかも、日本の三権は情報公開に対して極めて消極的である。シニシズムは、権力が情報公開しない限り、払拭することは不可能である。情報を最も掌握し、テロルを重ねてきた権力というものが人々から信用されないのは当然である。にもかかわらず、個人情報保護関連五法案のようなメディアを規制し、内部告発を萎縮させる法案を政府は可決させようとしている。この法案は権力が従来から密かに行ってきた監視活動の正当化にすぎない。二〇〇二年五月二十八日、防衛庁の海上幕僚監部情報公開室の三等海佐が情報公開法に基づいて情報公開を請求した人たちの身元や生年月日、職業、思想・信条を独自に調べ、そのリストを作成していた事実が発覚している。その後、防衛庁が組織ぐるみでこういったリストを作成し、さまざまな部署に配布していたことが明らかになっている。民間企業であれば、雪印食品の例を見るまでもなく、この一件だけでも解散に追い込まれかねない。責任をとるのであれば、自衛隊は、即刻、自主的に解散すべきである。日本の行政機構の内務省的な体質は一向に改善されない。出版の自由は、植民地時代のアメリカでジョン・ピータ−・ゼンガーの一件によって獲得された以上、現存する最古の憲法であるアメリカ合衆国憲法よりも古く、出版の自由は憲法概念を超えている。しかも、街の喧嘩を安全保障の比喩として用いる竹中経済財政担当相がこの個人情報保護関連五法案の担当大臣であり、政府による安易な拡大解釈は十分に推察し得る。情報公開に踏みきらないで、日本の権力が信頼を得ることはできない。「情報開示が、情報の送り手の負担になるものとは思わない。むしろ、責任の分有という点では気楽になれる。ただ、情報の正しさを送り手だけが独占するといった『権威』がなくなるだけのこと。(略)結論だけでよりかかることはできない。その代わり、いろんな材料と多様な考えから、自分なりの結論にいたろうとする過程を共有できる。それがこの時代の信頼というもの。そのことによって、受け手も送り手と同様に成長できる。つまり、この時代の親鸞とは双方向的な相互信頼なのである」(森毅『この時代の信頼』)。
軍備を文化的イデオロギーとして考えることは、決して、問題のすり替えではない。法も文化の産物であり、法は文化と不可分の関係にある以上、第九条を法学によってだけでなく、文化として認識するべきである。それには考察するための情報が必要であり、三権とメディアは情報を公開する責務がある。それにより、送り手と受け手の間に「信頼」が成立する。
第八章      「護る」もの
第一節 平和憲法と「護る」こと
自衛隊は日本国民を「護る」ことを任務にしているけれども、「護る」という姿勢は防衛官僚にも保守派にもなく、むしろ、憲法を「護る」立場において顕著に見られる。第九条をめぐる問題は「転向」に似ている。
柄谷行人は、『党派性をめぐって』において、平野謙を例にとり「護る」ことについて次のように述べている。
平野氏は「護る人」だった。たとえば、「政治と文学」、「芸術と実生活」という彼の理論をみればよい。それは、一見すると、「政治」に対して「文学」を護るものであるかのように見える。しかし、彼にとって、「政治」あるいは「芸術」はあくまでも正しいのだ。そうでないなら、「二律背反説」などなりたたない。したがって、平野氏が「政治」や「芸術」を「文学」や「実生活」の側から相対化しようとするまさにそのとき、「政治」や「芸術」は絶対的なものとして擁護されるのである。
平野謙は何を護ろうとしていたのか。たとえば、ユダヤ人の文芸批評家シュタナーは、マルクス主義は厳格な一神教(ユダヤ教)の再現だといっている。これはむろんありふれた考えだし、マルクスの著作とは無関係である。しかし、私は、日本人が真に一神教的な過酷さを経験したのは、マルクス主義においてだけだと思う。転向があれほど深刻な問題となったのは、そのためだ。たとえば、明治以後のキリスト教は一度もそんな衝撃を与えはしなかった。現に、戦時中のキリスト者集団の転向が内部から問題にされたのさえ、ごく最近のことにすぎない。逆に、マルクス主義者の転向問題こそ、キリスト教的な問題をもたらしたのである。つまり、人間の「弱さ」に即して生きることがはじめて問われたのである。
平野氏は、そのような「神」そのものを問題にすることはなかった。彼は「同伴者」としてのつつましさにおいて、厳格に「理論と実践の統一」において生きる、革命家や私小説家に敬意を払った。むしろ彼らがそれを放棄したあとでさえ、「神」の正しさは決定的に否定されることはなかった。
しかし、平野謙が、はっきりと「護る人」になっていたのは、六十年代になってからのように思われる。共産党や私小説がもはや権威をもたなくなったときである。「政治と文学」、「芸術と実生活」という図式はもはや意味をもたなくなった。実際に、平野氏は、「共産党や私小説がしっかりしてくれないと困るのです」と発言したことがある。
それは、けっして自分の理論が通用しなくなることへのおそれなどではない。むしろ、「神の死」に際して、自らの「神」を護ろうとする決意だったかもしれない。
商業主義の時代である二十世紀は、正確には、「神の死」ではなく、「神の死」の決定不能である。神も商品となる以上、死んでいられては困るが、生きていられても不都合である。戦後日本において、「護る」ことが最大になったのは憲法第九条の問題である。自衛隊の発足によって、事実上、これは廃棄されている。芦田修正時点から、自衛のための再軍備は国際的に否定されたわけではない。自衛力を保持したところで、第九条に違反したことにはならない。最初から決定不能性をはらんでいる。憲法第九条の死は決定不能に置かれている。にもかかわらず、その条項を「護る」姿勢を示しているのは倫理的要請である。倫理は法によって実現される。政治による法の葬り去りに対する抵抗をしなければならない。それは将来的な国際法の国内法への優位に備えることにつながる。
現在のように、法学的には必ずしも正当ではないにもかかわらず、憲法を拡大解釈、憲法を改正し、歯止めを周辺諸国並びに国内世論に示すべきだという主張がある。かねてから自由民主党は「自主憲法」の制定を党是として掲げている、日本国憲法は占領軍によって押しつけられた憲法であるというのがその理由である。この理屈は、一九五四年七月に岸信介を会長とする自由党憲法調査会で、悪名高い松本草案で知られる松本烝治がかなり感情的に「押しつけ」られたと発言したことに由来している。この調査会は自衛隊を合憲化するために憲法を改定する目的で設置され、憲法を改定する口実を探していた場での主張であるから、憲法が押しつけられたか否かという点に議論が矮小化されていったのである。日本国憲法公示時の内閣総理大臣だった吉田茂は制定過程においては憲法草案に全面的に賛成していなかったけれども、公的には新憲法を否定したことはないし、一九五七年の回想録『回想十年』では、「押しつけ憲法」論を斥けている。松本草案のような無残なものしか専門家がつくれなかったから、占領軍が日本の支配者層のみによる憲法起草を断念したのである。この過程を配慮し、GHQも占領終了後に憲法改定の許可を日本政府に与えている。「『押しつけ憲法』の立場をとる政治家たちは、吉田と同様に保守思想の持ち主であるとはいえ、吉田が『七転八倒』している時に、戦犯であったり、公職追放中であったり、あるいは吉田学校の若き『お坊ちゃん』であった場合が多い。敗戦から占領、その中での憲法制定という思想と思想のせめぎ合いを、数歩さがって見ていた者の安易な主張としか言いようがない。それにしても『押しつけ憲法』論が、なぜこれほどまでに戦後三〇年以上にもわたって生き延びてしまったのであろうか。憲法改正の機会はあったのである。与えられていたのである。その機会を自ら逃しておきながら、『押しつけ憲法』論が語りつがれ、主張され続けたのである。とにかく最近の憲法『改正』史や現代史の研究書をみても、この点にまったく触れていないのであるから無理からぬ事情はあったにせよ、これは糺しておかなければならない」(古関彰一『新憲法の誕生』)。日本国憲法がGHQによる押しつけと保守勢力が考えているから、こうした憲法の軽視が起きるのであり、自主憲法を制定すれば、安全保障をめぐる周辺諸国の不信感も払拭できるという認識に基づいている。それは憲法ではなく、安全保障に関して相当する。既成事実により法を葬り去るとすれば、法など不要である。信頼感は法の遵守を内外に示すことによって、生じるのであって、政治的思惑による既成事実に沿ってなし崩しに法を変えるのでは不信感が増幅するだけである。第九条には軍備を消極的に諦めるのではなく、積極的に放棄するというニュアンスがある。事実上、一九五〇年代に再軍備し、第九条がないがしろにされたのは法に対する軽視である。法は強制力を持たなければ、十分に機能しえないが、司法は政治への法の遵守の要求を放棄している。近代日本の歴史では、自主憲法であった明治憲法下でも、つねに法が軽視されてきたのであって、口実になっているとしても、自主的であるか否かは問題ではない。法の遵守は自主的ではありえず、世論を含めた国際的な圧力でしか達成しない。
その上で、第九条を「護る」ことの最大の意義は、歴史に自らの失敗を証言する証人として恒久平和の訴訟での語る資格だという点である。日本の失敗は恒久平和実現の契機の一つになり得る。恒久平和のために日本の失敗を生かして欲しいと歴史に訴えることが日本に残された使命である。コスタリカの大いなる実践をさらなる恒久平和につなげるには、日本の惨めな失敗を歴史の教訓とするように手を尽くすほかない。従って、日本はその訴訟の日まで第九条を「護る」義務がある。日本は、恒久平和のために、克服されるべき存在として第九条を護らなければならない。
平和憲法は日本が国際社会にいかにあるべきかではなく、国際社会をいかに育むかという理想形成の原理である。第九条は、その実現には、困難が待ち受けてるという点で試練であると共に、それを大いなる肯定によって新たなる価値を育むという店で意欲である。意欲は世界への働きかけではない。恒久平和を望むことによってもたらされる現在において、いかに生きるかという問いの肯定である。戦争の放棄は恒久平和への初めの一歩、すなわちこの否定は大いなる肯定への第一歩である。実際に、日本人が放棄したのは戦争ではなく、第九条である。恒久平和は平和の永劫回帰であり、恒久平和はニーチェの永劫回帰の実践として考察しなければならない。平和憲法では、天皇ではなく、個人に主眼が置かれている。個々人の実存において恒久平和を生の目標の「欧米に追いつけ、追い越せ」という去勢コンプレックスを表出する名誉白人志向的なスローガンは敗戦を経ても変わらないが、少なくとも、個々人が主眼に置かれた戦後では、このスローガンは背理である。「──おまえたち、永遠の者たちよ、世界を愛せよ、永遠に、また不断に。痛みに向かっても『去れ、しかし帰って来い』と言え。すべての悦楽は──永遠を欲するからだ」(フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストゥラはかく語りき』)。
小泉純一郎内閣総理大臣は「痛みを伴う構造改革」を有権者に訴えている。しかし、真の構造改革はたんなる民営化を意味しない。真の痛みを伴う構造改革は憲法第九条の遵守にほかならない。
第二節 伝統文化と「護る」こと
一方、保守派が「護る」必要性を唱える伝統文化の起源は、実は、近代国家建設の際に宮中派と近代派の間で繰り広げられた主導権争いから生じ、形成されているにすぎない。保守派は、「日本的」という概念を用いる場合、定義を明確にしていなければならないのに、ア・プリオリに使うが、その形成があまりに空疎であるため、そうならざるをえない。一八七九年頃、近代化を進める下級武士と天皇と共にやってきた宮中派は教育問題をめぐって軋轢が顕在化し、お互いに発言力を確保しようと激しいイデオロギー闘争をしている。両者の妥協によって近代日本の諸制度が成立していく。その典型が一八九〇年に下賜された「教育ニ関スル勅語」、いわゆる教育勅語である。政府内のさまざまな権力抗争の後、次第に、保守派が覇権を掌握し、自由民権運動を代表にする民権派はいきすぎた欧化政策によって、文化的混乱をもたらしていると宮中派と共に考えるようになっている。つまり、逆コースと同様、民衆に対する不信感がその動機だったのである。
教育勅語が明治維新のイデオロギー、それも立憲制の原則に完全に反していることを起草者である法制局長官の井上毅も承知していたけれども、もともと欧化派に属していた井上も首相の山県有朋に説得され、自ら執筆をかってでたのである。『官報』に教育勅語が掲載されたが、その際、文部省訓令第八号の付帯資料として二ページ下段から三ページ上段にかけて収められている。重要法案は『官報』の巻頭に載せるべきであるけれども、「政治上の詔勅ではなく君主の社会的著作として性格を与えたため、当然の措置であった」(佐藤秀夫『教育の歴史』)。
教育勅語は次のような「著作」である。
朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ我カ臣民克ク忠ニ 克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス
爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ學ヲ修メ業ヲ習イ以テ知能ヲ啓發シ徳器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ尊ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ是ノ如キハ獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン
斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺シテ咸其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ
教育勅語はこのように定義を欠く曖昧な儒教道徳と通俗道徳、皇国史観が混在しているだけでなく、三ヵ月程度で仕上げたやっつけ仕事だったため、文法上のミスまである。「一旦緩急アレハ」と記述されているが、この場合、已然形ではなく、「一旦緩急アラハ」と未然形でなければならない。「総じて、日本社会の教育理念の根源を『良心』とか『神』とかに求めるのではなく、歴史的存在であると同時に現在の支配構造の要となっている天皇制に求めているところに、この勅語の基本的特徴があったといえる」(『教育の歴史』)。教育勅語は現体制の正当化を理論的な根拠に基づいて訴えるのではなく、まがまがしい神話的な言説を無根拠に並べ立てている。教育勅語は新たなる価値を育むために守るのではなく、守ること自体が目的になっている。近代的な法治国家建設を目指した明治維新に反した徳治主義的な教育勅語が道徳の基礎付けを行ってしまう。
ところが、教育勅語は、戦前を通じて、明治体制を支える最大のイデオロギーとして機能することになる。法律ではない文法上のミスを含んだ「著作」によって支配を正当化している明治体制は、この時点で、法治国家である資格を失っている。近代日本は近代的な徳治国家を建設することを目指していく。しかし、それは法治主義に基づく責任制の代わりに、徳治主義による無責任性を育てていくことになる。しかも、教育勅語には契約概念がない。教育勅語のイデオロギーは天皇も憲法に従わなければならないとする天皇機関説をも葬り去る。これでは憲法の規定も無視され、天皇は超法規的存在になってしまい、法的に責任が問われないことになる。王権神授説において、王権は神から授けられたものであるから、王に失政はありえないとしても、あくまで神が王の上に立っている。王権神授説には、彼らの神には契約概念があったため、少なくとも、社会契約説が誕生する余地があったが、教育勅語に基づく皇国史観や国体イデオロギーからは法の無視しか生まれ得ない。主導権争いが法を軽視して、文化的なイデオロギー対立にすり替わり、さらに政治に置き換えられる。これは近代日本に一環として続いている。
近代的法治主義は神の死を背景にしている。神を前提にした道徳に代わって、資本主義に対応した政治主導により新たな道徳を規定しなければならない。にもかかわらず、近代日本の為政者は神の死の事態を恐れ、神を殺さないまま、近代化を遂行している。神の死を極限まで推し進めることが近代化であるのに、近代日本は神の死を封印し、神の死を見せかけただけの「フェイクの帝国(Fake
Empire)」にすぎない。二十世紀は、商業主義により、「神の死の決定不能性(Undecidability
of Death of God)」であるが、「見せかけの神の死(Fake Death of God)」もしくは「神の死んだふり(Pretend
Corpse of God)」である近代日本は。このため、一九八〇年代、近代日本がポストモダンを先行しているという錯覚した議論が生まれたのである。両者は、実際には、似て非なるものである。神の死の決定不能性は神の死の極限化が導き出した帰結であるのに対して、近代日本は神の死を実行しなかったため、神は生きている。近代では、進化論により、人間は神の似姿ではなく、動物に属していることが明らかになったが、二十世紀に入り、DNAが発見され、人間は生物の一種であると確認される。植物のように、神は死んだとも死んでいないとも言えないのが神の死の決定不能性であり、他方、近代日本は神への延命治療を続けている。しかしながら、二十一世紀は「神の安楽死(Euthanasia
of God)」の時代であることを思い起こさなければならない。
要求と譲歩の弁証法は交渉を構成する要素であり、妥協は政治には不可欠である。しかしながら、日本において、妥協は中道より右の地点で行われる。これは世界的に見て自明ではない。例えば、アタチュルクに率いられたトルコ共和国の成立では、社会主義的傾向はまったくない点では明治維新の日本と同様であるが、婦人参政権や文字改革など日本以上に急進的な近代化政策が選択されている。アタチュルク自身はもっとラディカルに改革を進めたかったようだが、この地点で妥協せざるを得なかったのである。アタチュルクことムスタファ・ケマル・パシャは婦人参政権を認めさせるために、議会で、「わが女性たちは、同じ理性を与えられた人間ではありませんか」と演説し、全国を駆けめぐっている。彼は女性そして民衆を信じている。確かに、アタチュルクは、トルコ共和国建国の際、それまで共闘していたクルド人に対して狭量な態度を取り、「国民と国家と領土の不可分の統一」と「国民文化」が一体であるというケマル主義はクルド人弾圧につながっていく。建国十周年の記念演説で「自分とトルコ人と呼ぶ人間は幸福だ」と叫んだ彼は国民国家の原理主義者であり、トルコのクルド人問題は国民国家が必然的に孕む矛盾の表象である。アイヌ問題をいまだに直視しない近代日本には、言うまでもなく、トルコのクルド人問題を非難する資格はない。日本国憲法は先住民族の権利を想定していない。その点で、重大な欠陥がある。けれども、一九九七年、札幌地裁は生存権を根拠にアイヌの先住民族としての権利を認めている。憲法が先住民の権利を保障できるとしたら、今すぐに変える意義などない。この判決にもかかわらず、アイヌの尊厳はいまだに尊重されてはいない。妥協ではなく、日本の妥協点の位置が問題である。「付和雷同性」が原因ではない。歴史の再検討並びに将来の変化に備えるのであれば、中道よりいささか左寄りで妥協する方が適切である。妥協点が中道右派になるのは、法治主義の伸張を妨げ、自分自身の保身を優先し、民衆に対する信頼感の欠如があるからである。
責任を取らされないように、当事者は妥協点を探し出すのみならず、責任を回避するために、法をないがしろにする。神の死により、責任を引き受けなければならなくなったのだが、神の死を回避してしまったため、責任の所在が曖昧になってしまったのである。近代日本のこの体質は、敗戦を経ても、変わるどころか、戦争責任を政治決着してしまったために、より悪化している。伝統文化を「護る」姿勢は、実は、こうした無責任性にほかならない。
第九章 コスタリカの先見性
第一節 コスタリカにおける軍隊の解散
軍事力の放棄は、現在、中米のコスタリカ共和国が現実化している。一九四八年、国民解放党(PLN)が軍隊を解体し、一九四九年に非武装・中立を宣言している。以降、三千名の市民警備隊、二千名の国境警備隊並びに二千名の地方警備隊が組織されているだけである。一九四八年の選挙でそれまで政権の座にあった国民共和党(PRN)が敗北したにもかかわらず、居座り続けた結果、内乱に発展し、次の選挙でフィゲレス・フェゲル率いる新興勢力PLNがPRN政権を打倒、国内融和の一環として正規軍の解体が選択される。正規軍復活の動きは何度か起きている。コスタリカはカリブ海と太平洋に面し、パナマとニカラグアに国境を接しており、ニカラグアの内戦がそれを促したのだが、コスタリカ国民は再軍備を選ばず、今日に至っている。コスタリカ政府は、一九八三年、「非武装積極中立宣言」を発表している。コスタリカは集団的自衛権を掲げる米州相互援助条約の加盟国であり、ニカラグアとの紛争では、米州機構の枠組みを利用している。コスタリカはしたたかだ。おかげで、今ではインテルを代表にアメリカ系企業も進出している。非武装中立を貫き通すコスタリカに対する国際社会の信頼感は高く、度々仲介役を求められ、その役割を十分に果たしている。コスタリカは、日本以上に、複雑な国際状況に置かれている。
第二節 非武装国家としてのコスタリカ
コスタリカ共和国憲法には次のような条文が見られる。
  
恒久的制度としての軍隊は廃止する。公共秩序の監視と維持のために必要な警察力は保持する。大陸間協定により又は国防のためにのみ、軍隊を組織することができる。いずれの場合も文民権力に常に従属し、単独又は共同して、審議することも声明又は宣言を出すこともできない。
(第十二条)
コスタリカの領土は、政治的理由で迫害を受けているすべての人の避難所である。
(第三十一条)
国家の非武装化の理論的根拠は、従来、国家間関係から導き出されている。「生涯一度も子供時代を持たなかった人間」フーゴー・グロティウスは、三十年戦争の経験から、平和を人類の普遍的な理想とし、『戦争と平和の法』において、国際法を自然法と結びつけている。「私はどのキリスト教国でも、野蛮人も恥じるような無軌道な戦争が行われているのを見る。わずかの原因で、また全然原因がないのに武力に訴えるのが常である。そして一度戦争を始めると、神の法も人間の法もどちらも尊重せず、まるで人間は何の抑制もなく、どんな罪を犯してもよいとされているかのようである」。国家間関係の不信感が軍備を必要としている原因であるから、それを国際機関を通じて解決できれば、軍隊なき時代がくると考えられてきたのである。
ところが、コスタリカの試みは軍隊が真にいかなる存在であるのか、さらに二十世紀の戦争の特質を明らかにしている。軍隊は外国勢力から自国を防衛するのではなく、自分自身の存在理由を守っているだけである。ジクムント・フロイトは、『文化への不満』において、「私の見るところ、人類の宿命的課題は、人間の攻撃並びに自己破壊欲動による共同生活の妨害を文化の発展よって抑えうるか、また、どの程度まで抑えうるかだと思われる」と問いかけているが、軍備はその抑制にまったく寄与することはない。
二十世紀後半の戦争は国家間戦争ではなく、内戦であり、ゲリラ戦が主流である。内戦は、従来の国家間戦争とは比較にならないほど、長期化する。内戦は国民国家建設の際に必然的に生じる。パレスチナ問題やインド=パキスタン紛争なども国家間戦争であるように見えるが、国民国家建設をめぐって発生している、一九五二年の日本政府の統一見解では、憲法第九条は「戦力」の保持は禁じているが、「戦力」とは近代戦争遂行に役立つ程度の装備、編成を備えたものを指し、「戦力」に至らない程度の実力を保有することは違憲ではないとして事実上の再軍備を進めている。これはその後の日本国政府の踏襲した見解となり、一九七二年の田中角栄内閣統一見解でも確認されている。しかし、後に言及する通り、現代の戦争はゲリラ戦であって、国家間戦争のような近代戦とは違う。
ノーベル平和賞を受賞した元コスタリカ共和国大統領オスカル・アリアスは日本国民ヘ向けて次のようなメッセージを寄せている。
日本は、多くの誇るべき特質を持っています。他の多くの民主的先進国と同様、日本における健康と教育への予算は、軍事予算をはるかに上回っています。これは英知の証しです。私は、非武装国家コスタリカの一国民として、軍備への支出は、国家が行ない得る最悪の投資である、と強く信じています。
国民の健康と教育に重点を置き、それらに投資することは、ミサイルや空母などヘの投資よりも、はるかに深遠な強さを国家に与えることができるのです。だからこそ今、私は、日本国民と日本政府に、呼びかけたいと思います。自衛隊は、これまで通り自国の防衛のみに、とどめてください。
日本は、軍事力を必要としない偉大な国なのです。日本は、他の分野でリ―ダーシップを発揮するべきです。すでに日本の国外への援助は、GDP(国内総生産)の割合において、アメリカを三倍近くも上回っています。これこそが、世界に対する本当のリーダーシッブなのです。経済、民主、精神において、日本は世界の大国です。
これらの特質に加えて、軍事力を追加する必要がある、などという愚かな考えで自分たちを欺いてはいけません。軍事力の強化は、その反対に、これらの肯定的な特質を奪い去り、最終的には、日本を弱体化させてしまいます。
 したがって私は、日本国民と日本政府に、訴えます。戦争にではなく、平和に投資してください。軍事基地開発にではなく、人間育成に投資してください。軍事テクノロジーにではなく、ビジネステクノロジーに投資してください。日本と世界は、一層より豊かになっていくでしょう。 (二〇〇一年四月二十六日)
  人間安全保障――人類共通の責任――オスカル・アリアス・サンチェス
「転向」した日本国民には、少なくとも、このメッセージに応え、まだ「『同伴者』としてのつつましさにおいて」コスタリカへ「敬意」を払う道は残されている。なおかつ、日本の平和憲法が改憲された場合、個人として日本を離れ、コスタリカに渡り、その失敗を証言するのも選択肢の一つである。
Just
a castaway
An
island lost at sea
Another
lonely day
With
no one here but me
More
loneliness
Than
any man could bear
Rescue
me before I fall into despair
I'll
send an SOS to the world
I'll
send an SOS to the world
I
hope that someone gets my
I
hope that someone gets my
I
hope that someone gets my
Message
in a bottle
A
year has passed since I wrote my note
But I
should have known this right from the start
Only
hope can keep me together
Love
can mend your life
But
love can break your heart
I'll
send an SOS to the world
I'll
send an SOS to the world
I
hope that someone gets my
I
hope that someone gets my
I
hope that someone gets my
Message
in a bottle
Walked
out this morning
Don't
believe what I saw
A
hundred billion bottles
Washed
up on the shore
Seems
I'm not alone at being alone
A
hundred billion castaways
Looking
for a home
I'll
send an SOS to the world
I'll
send an SOS to the world
I
hope that someone gets my
I
hope that someone gets my
I
hope that someone gets my
Message
in a bottle
  (The Police “Message In A Bottle”)
コスタリカ共和国憲法の第三十一条は日本国憲法には根本的に欠けている視点である。そのため、現在に至るまで、日本は、亡命を含む難民に対して、最も排他的である。手塚治虫は、『ドン・ドラキュラ』において、ドラキュラ伯爵をルーマニアから日本へやってきた「難民」として描き、ドラキュラは、「ドラキュラ半漁人にあう」の中で、「難民」として東南アジアから密かにやってきた半漁人に対して「とてもマトモに暮らせぬ。ことに日本てとこは難民にはぜんぜん不親切でな」と言っている。日本政府は、難民受け入れに関する条約を批准しているにもかかわらず、この点では改善する見込みはない。
なお、『ドン・ドラキュラ』の半魚人は、映画『大アマゾンの半魚人(Creature
From The Black Lagoon)』(一九五四)において、元海兵隊員リコウ・ブラウニングが着て、演じていた半魚人の着ぐるみをモデルにしている。『半魚人の逆襲(Revenge
Of The Creature)』(一九五五)、さらに『半魚人、我らの中を往く(The
Creature Walks Among Us)』(一九五六)とシリーズ化されるこの第一作は、アマゾンが舞台なはずなのだが、北米産の温帯魚カーバイクが泳いでいる点には、マニア心を刺激されると言わねばなるまい。第二作に、クリント・イーストウッドが端役で映画に初出演していることも付け加えてこう。
第十章 恒久の平和
第一節 カントの『恒久平和のために』
軍備への不満の歴史は長い。古代インダス文明において、人々は軍備とは無縁の平和な生活をしていたと伝えられている。また、古代中国でも老子や墨子が軍備への不満をもらしているし、古代エジプトのアメンポテプ四世はアトン神というラディカルな一神教を始め、非暴力に基づく絶対平和を説いている。ルネサンス以降では、デシデリウス・エラスムスの著作、ジャン=ジャック・ルソーの『社会契約論』、フーゴー・グロティウスの『海洋自由論』・『戦争と平和の法』、C・I・C・サン=ピエールの『恒久平和草案』、イマヌエル・カントの『恒久平和のために』などが代表的著作として挙げられる。
中でも、カントは、近代の国際社会においては、戦争は国家意思を実現するための最後の手段として一般に容認されてきたのに対して、戦争というものが人間の人格をさまたげる最大の害悪であると考え、その意味で理性の確立に反するという哲学的根拠から、戦争を国家の権利として認めない。法は、カントによれば、道徳性の実現が困難である以上、必要であり、道徳性に反する戦争は厳密の方によって規制されなければならない。こうした絶対的戦争否定に基づいた『恒久平和のために』は、バーゼル条約を始めとする当時のヨーロッパの平和条約の形式に倣って、恒久平和実現のための六つの「予備条項」と三つの「確定条項」から構成されている。
予備条項では、平和を妨げる政治・経済・軍事上の問題をとりのぞくための提案が盛りこまれている。特に、常備軍の漸進的廃止(第三条項)や、他国への暴力による干渉の禁止(第五条項)が日本の平和憲法の理念に影響している。
確定条項では、人類が恒久平和を構築するための法的・政治的提案が行われている。第一確定条項では、各国家における市民体制は「共和的」でなければならないとし、第二条項の中では、平和を維持するには、自由な諸国家の連合制度を提唱している。さらに第三条項においては、地球上の諸民族の普遍的な友愛を提唱した「世界市民法」を掲げている。
国際連盟や国際連合といった集団的安全保障のための国際機構は恒久平和論の第二確定条項であり、また、恒久平和という国家間の問題を共和制の確立という内政上の問題と不可分のものと捉えている。カントはたんに政治ではなく、平和を法の問題と理解している。カントは現存する国内・国際政治体制を自明と見なさず、その体制の構造を変革することにより、平和を実現しようと考えている。現体制は一定の時下・空間に限定されている。カントは恒久の平和、すなわち一定の時間・空間に限定されない平和を問う。それは他者との対話や他者との共生によって可能になる。そのためには、体制変革が不可欠である。しかしながら、恒久の体制はありえない以上、恒久平和はコスモポリタニズムによって可能になる。組織や地方自治体、国家などに所属し、その立場から発言することは理性の私的使用であって、「世界公民社会」の一員である個人として考えることが公的姿勢であり、理性の公的使用は自由であるが、理性の私的使用は制限されなければならない。それには、他者を手段のみならず、目的として扱うべきである。その時、他者との共生が可能になり、恒久平和が実現する。恒久平和は国家の連合体による抑止によって達成されるのではない。法の遵守によって可能になる。
ただし、カントはこうした恒久平和がすぐに実現するとは考えていない。これからも人間は何度も戦争を行い、悲惨な体験をするだろうが、その経験を通じて、恒久平和を目指していく。カントの平和思想は、その意味で、今日においても有効である。
第二節 We Shall Overcome
五月三日が訪れると、日本では護憲・改憲が議論となるけれども、憲法は自明の法的原理ではない。イギリスには一つにまとまった成文憲法はない。イギリスの法体系は、マグナ・カルタ以来の法令や判例、慣習によって構成されている。けれども、イギリス人が、日本人に比べて、生活に著しく支障をきたしている、もしくは法意識が低いということはない。また、シティを陣取る外国資本から日本より活動しにくいという声は聞こえてこない。
憲法概念は、歴史的・原理的に、近代憲法から現代憲法へと変化し、その姿も各国によって異なっている。現行の成文憲法の中で最古は、一七八七年に起草、翌年発行された合衆国憲法である。最初は前文と本文七条のシンプルな構成だったが、奴隷解放や公民権運動などを通じて、さらに二十七条ほど補正され、現在に至るという近代と現代が連続している稀な例である。
近代憲法は国民国家と共に発展している。国民国家は、十八世紀後半から始まった産業革命を背景として急速に国力をつけていくイギリスを乗り越えるために、イギリスとの経済的な遅れを政治的変革によって取り戻すために、大陸諸国で選択され、その後、日本を含めた世界中に広まっている。国民国家は産業革命に伴い、より拡大した市場を求めて生まれた体制であり、資本主義と二人三脚で歴史を歩んできている。売れる商品が善であり、売れない商品は悪であるという資本主義の道徳に基づき、数こそ政治権力の基盤であるという議会制民主主義も同時に登場する。数を計算するにはそれが所属する集団の領域を明確にしなければならないため、国境や国民の資格も明確化される。国民国家体制によって資本主義を克服することはできない。国民国家に支配された植民地も、二十世紀に入ると、同じ国家体制を選んで独立し、いわゆる社会主義体制にしても、実際には、オットー・フォン・ビスマルク流の国民国家のヴァリエーションである。国民国家は、議会を招集、憲法を制定した上で、公教育と常備軍を通じて国民を生産して、自らを聴覚的には国歌、視覚的には国旗によってとりあえず実体化し、特定の言語を公用語化して思考を規制する。
第二次大戦後、近代憲法の理念を押し進め、「国民」ではなく、「個人」の尊厳を実質的に確保するという理念の現代憲法が求められるようになったが、国民国家の諸問題に対応するには、依然として国内法だったため、不十分である。二十世紀の戦争は、前世紀と違い、国家間戦争ではなく、内戦が中心である。と言うのも、国民国家形成過程には内戦と少数派(場合によっては多数派)への抑圧がついてまわるからである。近代日本では、前者は戌辰戦争と西南戦争、後者はアイヌ抑圧が相当する。しかも、国家主権によって人道に対する犯罪が助長され、内戦が泥沼化している。国連と言えども、国民国家の連合体であり、内戦には決定的な方策を示すことはできていない。「性格を持たないとき、人は確かに方法を身につけなければならない」(アルベール・カミュ『手帖』)。
そこで、徐々に、世界的流れは国際法に対する国内法の比重を軽くし、国内法の領域とされてきた人権保障の国際的保障、国家主権の制限やコスモポリタニズム的な機構への主権委譲といったコスモポリタニズム的な法概念の創出し、保守化したり、利害に縛られやすい議会ではなく、世界的には司法が大胆にそれを示す方向に向かっている。ニュールンベルク裁判や東京裁判を踏まえて始まった戦争犯罪に対する裁判戦勝国が敗戦国を裁く政治的見せしめの場ではない。政治への法の優先権、もしくは国内法に対する国際法の優位を国際社会の表明の場である。国連の結成以上に、人道に反する罪を裁く国際的な裁判の設置の方が恒久平和に接近している。国際連盟の失敗は軍事制裁を放棄していたからではない。人道に反する罪を裁く効力を持った国際的司法機関の不在が最大の原因である。国際連合は拒否権を握る常任安全保障理事国、軍事大国の思惑に振り回され、十分に機能していない。政治が法に対して優先されている。イスラエル軍による住民の虐殺の疑いが持たれているジェニンに国連の人権調査団も、イスラエルが拒否しているため、入れない。国際条約は国内法にすぎない憲法より上にある。国際条約に反する国内法はそもそも無効であり、たとえ国内法の解釈では可能な事項であっても、条約に抵触する場合、不可能になる。日本国憲法にも、「憲法の最高法規性、条約・国際法規の遵守」として第九十八条「この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない」並びに「日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする」という記述が見られる。国際条約を脱退すれば、間違いなく、国際的な圧力が強まり、孤立してしまう。日本政府はこの法秩序を十分に理解していない。彼らは、第九十八条を読んだ上で、「憲法尊重擁護の義務」という第九十九条、すなわち「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」ことを再認識しなければならない。国際法は国内法に優先され、人道に反する罪に反した者並びに組織、集団は国際的な司法によって、裁かれる。ハーグには、まだ権限が十分ではないけれども、戦争犯罪を裁ける国際刑事裁判所が設置されている。軍備による抑止ではなく、法による抑止が恒久平和につながる。戦争放棄を掲げた第九条はポスト国民国家を見すえている。グローバル化していく二十一世紀には、ポスト現代憲法の体系が登場せざるをえない。
We
shall overcome
We
shall overcome
We
shall overcome some day
Oh,
deep in my heart, I do believe
We
shall overcome some day.
We
shall all be free
We
shall all be free
We
shall all be free some day
Oh,
deep in my heart, I do believe
We
shall overcome some day.
We
shall live in peace
We
shall live in peace
We
shall live in peace some day
Oh,
deep in my heart, I do believe
We
shall overcome some day.
(Pete Seeger “We
Shall Overcome”)
第十一章 ポスト軍備
第一節 九月十一日以降
二〇〇一年九月十一日の同時多発テロはアメリカ合衆国、より正確にはアメリカの手法を標的に行われている。自由と民主主義に対する挑戦ではない。アメリカの力で相手をねじふせれば、世界は安定するという発想が招いた出来事である。力の均衡はほぼ同等の諸力が拮抗している状態を指すはずだが、合衆国の政府はアメリカが優位に立つと力が均衡するという認識の下で、世界戦略を考案する。あの行為が許されざるべきであるのは言うまでもないが、日本人を含む犠牲者はそれに巻きこまれたのである。イスラエルのアリエル・シャロン首相は、アメリカの論理を援用して、ヨルダン川西岸に軍隊を進めている。テロリズムを根絶しようとするなら、アメリカの力に頼る政策を見直さなければならない。アメリカは、一九四一年以来、敵対すると見なした勢力に対して封じ込め、力でねじふせる戦略をとる。戦争で勝利する度に、軍隊をその地域に駐留させている。アメリカは、第二次世界大戦の後には日本・ドイツ・イタリア、朝鮮戦争時には韓国、湾岸戦争ではサウジアラビア、今回のアフガニスタン攻撃以降には中央アジア諸国に駐留させ、そこから撤兵するケースは少ない。その駐留がさらなるアメリカへの敵意を増幅させている。均衡の世界は終わり、複雑系の世界が始まっている以上、初期値敏感性により、些細な揺れが雪崩現象として甚大な結末をもたらす。その小さな動きを完全に封じ込めることはできない。方針転換が必要である。
アメリカは、日本の戦争責任を含めて、政治的思惑のために法を捻じ曲げることが少なくない。パレスチナ問題におけるアラブの民衆の不満はアメリカのダブル・スタンダードからも生じている。アメリカは、イラクがクウェートに軍を進めると、大規模な軍事介入をするのに、ヨルダン川西岸を不法に占領しているイスラエルには援助をするのかという二重基準は彼らのアメリカに対する不信感を増幅させる。アメリカは国内で訴訟社会でありながら、国際社会では、法を軽視した態度で振舞う。二重基準を改め、法の遵守によってのみ、アメリカは信頼され得る。
フリードリヒ・ニーチェは、『生成の無垢』上二〇三において、「戦争と文化」について次のように書いている。
勝利者はたいてい愚鈍になり、敗北者は悪意をもつようになる。
戦争は物事を単純化する。男性たちにとっての悲劇。文化へ及ぼす諸影響はいかなるものなのか?
間接的には、戦争は物事を野蛮化し、このことによっていっそう自然的にする。戦争は文化の一つの冬眠なのだ。
直接的には、一年志願の連中というプロイセンの試み。兵力の或る軽減が文化の諸条件に結びつけられるのだ。
生に関する教訓。
生存の簡約。
ギリシア人はソポクレスを将軍にしたが、そのかわり彼は当然また打ち負かされた。
科学的戦争。
個々人の無差別と個々人の義務。人間性にさからう義務的な行為−−すばらしく教訓的な葛藤。戦争をおこなうのは「国家」ではなくて、君主ないしは大臣である。言葉でもって騙してはならない。
国家の意味は国家ではありえない、ましてや社会ではありえない。そうではなくて個々人なのだ。
自然は、戦争と同様、個々人の価値には無頓着にふるまう。
私は知っている、遠からずして多くのドイツ人が私と同様に次のような欲求を感ずるであろうということを。すなわち、政治、国民性、新聞、それらによる教養の形成から自由に生きるという欲求だ。或る教養派の理想。
私は、政治の研究をさらに行為者としてやりとおすのは不可能だと、みなす。教会の諸党派をも含めて、全党派のいまわしい空しさは、私には判然としている。政治からの治癒を私は熱望している、そして最も身近な市民的諸義務が諸団体のなかで実行されることを。プロイセンにおいては私は、代議制は無用だと、いな、無際限に有害だと、みなす。それは政治的熱病を接種する。かつて僧団があったように、ただしいっそう広い内容をともなった仲間がなんとしても存在しなくてはならない。あるいはアテナイにおいて哲学社会球があったように。国家教育による教育は嘲笑すべきである。
戦争は文化を「冬眠」させるために、「言葉でもって騙し」、「物事を単純化」する。戦争や軍備を考察する際、その背後にある背景を読み取る必要がある。アメリカの軍事政策は国際情勢以上に国内要因から決定される。むしろ、アメリカの国内勢力の「脅威」が世界を脅かしてきたのである。「脅威」という心理的な概念示している通り、戦争は、本質的に、心理戦であるが、国防は軍事産業も含めて軍事の関係者との心理戦も含まれる。デヴィッド・アイゼンハワー合衆国大統領ですら、「アメリカの民主主義は、新たな、巨大な、陰険な勢力によって脅威を受けている。それは〈軍事産業ブロック〉とも称すべき脅威である」と非難している。アメリカの世界戦略はこうした「脅威」が扇動する。自由と民主主義のために、世界戦略を考案しているわけではない。
広瀬喬は、『アメリカの巨大軍需産業』において、紛争は産業問題であると次のように指摘する。
ペンタゴンは、銃砲からミサイル、軍艦、戦闘機に至るまで、武器と兵器の国内製造を推進しながら、同時にこれを紛争地に送りこむマシーンとして機能する巨大組織である。その資金を受けるのが、上院議員と下院議員とワシントンの要人たちである。
世界には難民があふれている。原因は地域紛争にある。そこには、洪水のように鉄砲と弾丸が供給されてきた。どこからか。アメリカとヨーロッパの先進国からである。うちひしがれた難民に対する人道支援をおこなう輸送機も、同じ軍需メーカーの製品だ。おそろしいメカニズムと言わなければならない。アフリカなどの紛争国には、弾薬を量産する能力はない。民族問題を論ずる前に、なぜ、紛争の現地で使われた兵器と武器のブランド名を、先に見ないのか。国連はなぜ一度もそれを議論しないのか。
雪印食品は製品ラベルの偽装が発覚して三ヵ月で解散に追いこまれている。不当なことをすれば、その企業は市場から鉄槌を受けるというのが市場経済の原則であるが、破壊・殺害行為に荷担し、十分な情報開示を行っていないにもかかわらず、軍需産業は市場から咎められない。手塚治虫は、『七色いんこ』の「終幕」の中で、ベトナム帰還兵のボードビリアンであるトミーに、「帰ってみたら、戦争で大もうけした会社が肥え太っただけだった。そいつらのために、おれたちは女子どもまで殺しまくったってわけだ…」と言わせている。軍需産業は、国によっては、国営であるため、市場から追求されることもない。アメリカやヨーロッパ、ロシア、中国、その他にも多くの国が武器を輸出している。武器がなければ、紛争も街の喧嘩と同じになる。安全保障において、「脅威」が先にあるのではない。
にもかかわらず、合衆国の司法省は、二〇〇二年五月六日、武器の所有が「国民の権利」であるという書簡を最高裁に提出している。これは全米ライフル協会の主張に沿っている。
合衆国憲法補正第二条(Amendment 2)には、武器を所有・携帯する権利について次のように記されている。
A
well regulated Militia, being necessary to the security of a 
よく統制された国民義勇軍は自由な国の安全保障にとって重要であるから、国民が武器を所有し、かつ携帯する権利は、これを侵害してはならない。
独立前後、常備軍が未発達であり、かつ警察組織の整備も不十分であったため、州として国民義勇軍を備えている状況下で、この条文が考案されている。本来は、飛田茂雄の『アメリカ合衆国憲法を英語で読む』によると、憲法制定以前からある州によるミリシア維持のための武器の所持・携帯を連邦政府が侵害してはならないだけであって、個々人に武器の所持・携帯を認めているわけではない。従来の政府見解は、この規定の趣旨を踏まえつつ、合衆国国民は武器所有を条件付で認められるであったが、ジョージ・W・ブッシュ政権はそれを侵すべからざる権利に変更を迫っている。ブッシュ政権は、莫大な献金をしてくれる軍需産業のために、法を捻じ曲げようとしている。この法の無視が世界にとって最大の「脅威」である。
War
What is it good for
Absolutely nothing
War
What is it good for
Absolutely nothing
War is something that I despise
For it means destruction of innocent lives
For it means tears in thousands of mothers' eyes
When their sons go out to fight to give their lives
War
What is it good for
Absolutely nothing
Say it again
War
What is it good for
Absolutely nothing
War
It's nothing but a heartbreaker
War
Friend only to the undertaker
War is the enemy of all mankind
The thought of war blows my mind
Handed down from generation to generation
Induction destruction
Who wants to die
War
What is it good for
Absolutely nothing
Say it again
War
What is it good for
Absolutely nothing
War has shattered many young men's dreams
Made them disabled bitter and meanLife is too precious to
be fighting wars
each day
War can't give life it can only take it away
War
It's nothing but a heartbreaker
War
Friend only to the undertaker
Peace love and understanding
There must be some place for these things today
They say we must fight to keep our freedom
But Lord there's gotta be a better way
That's better than
War
War
What is it good for
Absolutely nothing
Say it again
War
What is it good for
Absolutely nothing
(Bruce
Springsteen “War”)
アメリカが世界の警察官として君臨していれば、世界の秩序が守られるのではない。むしろ、アメリカの存在が世界にとって厄介になっている。巨大化しすぎたアメリカをどうするかが今の課題である。独占禁止法から言えば、アメリカは解体されなければならない。アメリカは大きくなりすぎている。あらゆる点で、公正な競争を疎外している。世界的な問題解決の際に、アメリカに態度決定を世界が要求するのはアメリカが解決能力を持っているからではない。その原因を彼らが生み出しているからである。アメリカの存在が世界を脅かしているのをアメリカが自覚していないことが世界にとって最大の危機である。
恒久平和は、人道に反する罪への厳しい処罰だけでなく、武器の製造・売買・譲渡・廃棄に関する禁止を定めた国際法の締結・批准が可能にする。それには国際法の国内法への優位を前提とし、強制力を持った調査権を有する国際的な司法を設置し、そこが判断する。世論が動かなければ、これは実現しない。
十九世紀が政治の世紀だったとすれば、二十世紀は経済の世紀である。経済の力を政治によってコントロールしようとナチズム、社会主義、ケインズ主義などが試されたが、国家を超える経済活動の抑えこみは失敗している。軍事力や経済力など物的資本・ハード・パワーを競う時代から、知識や技術といった人的資本・ソフト・パワーを提供する時代へ世界は変容を遂げている。各国の外交は、グローバリゼーションの流れの中、自国の経済的利益を優先するビジネス外交に転換している。また、メディアの世界規模の発達により世界各地で民主化が進んだ結果、特権的な政治家・官僚に代わって、パブリック・ディプロマシー、すなわち市民外交が主流となりつつある。いかなる問題も地球規模で、かつ多角的に論じられなければならず、シンポジウムを開き、意思決定を明らかにしつつ、それを切り盛りし、世界中の人々への説明責任を果たす能力が求められるようになっている。こうした世界的な流れから、二十一世紀は道徳の世紀になるだろう。
アメリカは、日本と正反対に、世界中から移民を受け入れている。移民がアメリカに殺到するのは、アメリカが魅力的だからではない。むしろ、アメリカが二十世紀を体現しているからである。迫害された人々にとって、二十世紀では、アメリカが最後の砦に映る。実際、世界中の多くの問題はアメリカなしには解決することは難しい。この強迫観念がアメリカをさらなる軍備への依存へと高めさせる。けれども、それは二十世紀という時代の問題設定から生じたものであり、二十一世紀においても、アメリカが最後の砦になるとは限らない。
軍事問題も、それを念頭に、二十一世紀につながってしまう地球規模の環境問題の一つとして考えなければならない。枯葉剤や劣化ウラン弾の問題を見るまでもなく、戦争は環境破壊をもたらす。「紛争は、地球上最大の環境破壊である。環境問題を論ずる人は、これまで以上に軍事問題に目を向ける必要があるだろう」(『アメリカの巨大軍需産業』)。紛争地域は人的資本や物的資本が破壊されただけでなく、将来に渡って環境汚染に苦しむことになる。民衆はいつまでたっても貧困から脱却できず、指導層に汚職・腐敗が蔓延し、対立が激化して内戦が再開され、そこにまた大量の兵器が売りこまれる。この悪循環を断ち切れるのは軍備ではない。むしろ、「人間の安全保障」である。これこそが真の意味における安全保障あり、憲法第九条が体現しているものである。環境破壊はエネルギー問題と結びつけられて論じられてきている。従来、力を物質=エネルギーと捉える見方が支配的だったが、現代では、むしろ、力は配置=エントロピーである。軍事力による抑止は、国家に対しては有効であったかもしれないが、トランスナショナルな組織には暴力の連鎖を生むだけであって、逆効果である。軍需産業の恩恵に、経営者や労働者、取引先、ロビイストだけでなく、他の人々も媒介的に預かっている。従って、ボイコットを重視したマハトマ・ガンディーやマーティン・ルーサー・キングを見習うべきである。
前線も後方もない今の時代にあって、有事三法案は緊急事態に対処する用意どころか、緊急事態を生み出しかねない。有事法制のきっかけとなった同時多発テロを引き起こしたアルカイダは国家ではない。トランスナショナルな組織であり、もはやナショナル=インターナショナルな認識は廃棄すべき時が来ている。国家という体制が崩れていく歴史的流れにあって、危機を国家による管理で克服するという発想自体が危機である。国家という体制が消失していくことに気がついているからこそ、保身のために、政治家や官僚は有事三法案を閣議決定している。この法案を論議するよりも、国家がなくなった事態に備える準備の方が必要である。
現代の戦争は前線と後方の区別が失効しただけでなく、サイバー化する傾向がある。現代社会はコンピューターに支えられており、血なまぐさい惨劇に至らなくとも、体制を危機に陥れることができる。みずほグループのコンピューター・システム障害がもたらした混乱がそれを明らかにしている。しかも、コンピューター・ウィルスの蔓延が示している通り、こうした事態はたった一人でも、兵士でなくとも、可能である。ドラコリュフ・オイダニッチ元ユーゴスラビア連邦軍参謀長は、ハーグの国連旧ユーゴ戦犯法廷に出廷する前日、二人の孫を膝の上に置きながら、「孫たちが、将来、決して兵士にならないことを願っている」と涙ぐんでいるが、国家や軍隊といった大きなものはもう不要である。国境を超えるサイバー・テロは国内法だけでは対応できず、国際法と専門の国際機関の充実によってのみ取り締まれる。
Wait until the war is over
And we're both a little older
The unknown soldier
Breakfast where the news is read
Television children fed
Unborn living, living, dead
Bullet strikes the helmet's head
And it's all over
For the unknown soldier
It's all over
For the unknown soldier
Hut
Hut
Hut ho hee up
Hut
Hut
Hut ho hee up
Hut
Hut
Hut ho hee up
Comp'nee
Halt
Preeee-zent!
Arms!
Make a grave for the unknown soldier
Nestled in your hollow shoulder
The unknown soldier
Breakfast where the news is read
Television children fed
Bullet strikes the helmet's head
And, it's all over
The war is over
It's all over
The war is over
Well, all over, baby
All over, baby
Oh, over, yeah
All over, baby
Wooooo, hah-hah
All over
All over, baby
Oh, woa-yeah
All over
All over
Heeeeyyyy
(The Doors “The
Unknown Soldiers”)
第二節 ¡No Pasarán!
こういった時代にあっても、日本の「歴史的ないきさつ」を国際社会に示すことは、世界の可能性を「ひろげる」。真の国際貢献は文化の多様性を国際社会に提示し、可能性を「ひろげる」ことである。こうした多様化が真の自由化であって、全世界をアメリカ化することが自由化ではない。
法の形成は先験的ではありえず、法は歴史的な体験に基づいている。政治的な思惑は歴史の無視の企てである。国連の安保理入りを画策する外務省は、しばしば、広島・長崎の被爆体験を些細なことと扱っている。彼らは「歴史的ないきさつ」を発言することはない。「歴史的ないきさつ」は理念として法に反映するであり、「歴史的ないきさつ」を恣意的に取り扱う以上、日本外交並びに安全保障から理念は欠落する。このように法の遵守は歴史への敬意を意味する。
「歴史的ないきさつ」を踏まえた日本国憲法は次のような前文から始まる。
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国勢は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、等しく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
この前文はジェスイット派のカズイスティクではない。歴史的経験に裏付けちされているがゆえに、この条文は一般化することはできないが、特殊なのではない。「普遍」は単独的な歴史を意味する。ジル・ドゥルーズは、『差異と反復』において、「特殊なものの一般性としての法則と、単独なものの普遍性としての反復は対立する」のであり、「反復」は「交換不可能な、代替不可能な単独性にかかわっている」と言っている。ドゥルーズは「普遍」と「一般」を区別している。特殊な経験はアイロニカルに「法則」に基づいた一般化を目指すが、一般化は一様化=画一化に向かい、「見方」を狭めてしまう。特殊性は他者にも超越的に適用できるという無批判的な一般化を招きかねない。特殊性は成功から導かれる。他方、単独な経験は一般化でないがゆえに、普遍化しうる。普遍化は「見方」を「ひろげる」多様化の機能を果たす。単独的な「歴史的ないきさつ」の提示こそが「普遍」である。そうした「見方」が導入されることによって、歴史認識は見直される。単独的な経験は、法則によらない以上、ただ「反復」されるほかない。単独性は必ずしも他者に応用できるとは限らないが、こういった可能性もありうることを指し示す。単独性は自明の信念に対して他者として、すなわち懐疑と代替案の考案の契機として働く。単独性はこのように過去・現在・未来にかかわり、主として、失敗に基づいている。あの過ちを繰り返すまいという願いを繰り返すことは単独的であり歴史的である。経験から生まれた平和健康を媒介にして、歴史は単独的となる。反復はこの媒介性を繰り返すことである。アメリカの世界戦略に媒介的に荷担し、軍需産業に媒介的にかかわっている状況を考慮するならば、媒介性に関する認識は不可欠である。
日本国憲法の形成過程は、一般に考えられているよりも、はるかにこみ入っている。まだまだ研究途上であり、新事実も解明されていくことは間違いない。とは言うものの、憲法史における主流の学説は、占領下という特殊な状況であるものの、日本国憲法は日米合作である。しかも、それはアメリカ対日本という国家間の抗争の結果ではなく、かかわった個々人の憲法観の対立と妥協の産物である。ステロタイプによる短絡化は本質を見失う。GHQの女性職員が女性の権利を拡大したいと考えていたのに対し、男性職員がそれを認めないといったこともある。その上、アメリカ以外の連合国もそれぞれの主張を日本に伝えている。国民主権の日本語への翻訳のごまかしを見抜いたり、第九条の曖昧さを補うためにシビリアン・コントロールを加えさせたりしたのは彼らである。考えてみれば、日本国憲法は国際協調を謳っている以上、この共同作業はその趣旨とも矛盾しない。これは国際条約の作成過程に似ている。日本国憲法は国際条約でもあり、このような多様な意見が反映された憲法はいまだかつて存在していない。
条文を見るだけでも、日本国憲法が単純に占領軍によって押しつけられた憲法ではないことは明らかである。生存権は、二十世紀における憲法のプロトタイプと呼んでよいドイツのワイマール憲法からの影響である。こうした発想は英米系の憲法観にはない。これは社会党議員からの提案である。また、戦争放棄が最初に近代憲法上に書き入れられるのは一九三一年bに制定されたスペイン第二共和国憲法である。これは、一九二八年八月二七日にパリで、アメリカ・イギリス・フランス・ドイツ・イタリア・ベルギー・チェコスロバキア・日本が署名したケロッグ・ブリアン条約、いわゆる不戦条約に影響されている。さたに、一九三六年、フィリピンが憲法に戦争放棄を謳う。かつて日本も署名した不戦条約の平和主義の流れが日本国憲法にたどり着いている。
当時、日本各地で多くの団体や個人による新しい憲法の作成が取り組まれている。各政党も憲法草案を起草したものの、五五年体制を担う保守政党も日本社会党も、不甲斐ないことに、連合国が最も必要だと見なしていた国民主権を書けていない。彼らは新しい時代が何たるかを十分に理解していない。松本草案ほどではなかったものの、それらは十九世紀の代物といった趣があり、彼らは民衆のことなど見ていなかったのである。
実は、GHQは、有名無名や専門の如何に問わず、膨大な文献や資料、提案、意見を英訳しており、それを汲み上げて、日本国憲法に書き記している。憲法を変えることが目的なのではなく、日本人の間に定着しなければ意味がない。それには市井の声を反映させる必要がある。義務教育を中学卒業までの「普通教育」と記されたのには、教員の働きかけが大きい。また、官僚からもそういう意見があり、その根回しを受けたと思えるとしても、憲法の口語化は作家の山本有三らのグループ「国民の国語運動」の提案である。日本国憲法は、その意味で、集団的匿名の作品である。旧体制であれば、支配層によって排除されてきた人々のアイデアや知恵の結実が日本国憲法にはある。日本国憲法は現在の市民による参加と行動の民主主義の魁にほかなない。
古関彰一獨協大学教授は、『新憲法の誕生』において、依然として日本国憲法は「新憲法」と呼ぶのにふさわしいと次のように述べている。
 
にもかかわらず、あえてここで「新憲法」を使うのは、そこにはやはり明治憲法とはまったく異なった新しいものを見出すからである。戦争と圧政から解放された民衆が、憲法の施行をよろこび、歌い、踊り、山間の山村青年が憲法の学習会を催し、自らも懸賞論文に応募する姿は、近代日本の歴史において、この時を除いて見あたらない。そればかりではない。制定過程の中でたしかに官僚の役割は無視できないが、つねに重要な役割をはたしたのは、官職にない民間人、専門家でない素人であった。日本国憲法が今日においてなおその現代的意義を失わない淵源は、素人のはたした役割がきわめて大きい(戦争の放棄条項を除いて)。当時の国会議員も憲法学者もその役割において、これら少数の素人の力にはるかに及ばない。GHQ案に影響を及ぼす草案を起草したのも、国民主権を明記したのも、普通教育の義務教育化を盛り込んだのも、そして全文を口語化したのも、すべて素人の力であった。
かつて米国憲法一五〇周年記念(一九三七年)にあたり、ローズベルト大統領は「米国憲法は素人の文書であり、法律家のそれではない」と述べたが、近代国家の憲法とはそもそもそういう性格を持っている。
古来、日本において「法」とは「お上」と専門家の専有物であった。その意味からすれば、やはり日本国憲法は小なりといえども「新しい」地平を切り拓いたのである。こう考えてみると、そこに冠せられる名は、老いてもなお「新憲法」がふさわしい。
 
日本国憲法をGHQによって押しつけられた憲法と考えるのはその意義を矮小化するだけである。日本国憲法は世界の声と「素人の力」、すなわち民衆の思いの表象である。その意味で、この新憲法は世界に誇れるものである。集団的匿名性の作品という点でも、日本国憲法は依然として「新しい」。それを超える新しさを提示できない限り、日本国憲法を変えるべきではない。
時代が経ち、あの戦争を経験していない世代がこの憲法を幻想と見なしたとしても、むしろ、幻想だからこそ有効であると答えるべきである。経験を超えていながら、経験の中で独自に変化を与えるために、幻想は現実と別なものではなく、現実を可能にたらしめている。憲法は権力の制限を命じているが、それを権力に守らせるのは、最終的には、憲法が保障している個人の連帯による文化である。第九条があるからこそ、自衛隊の行動において、状況を十分に考慮せず、感情的に流されたり、性急に判断したりすることが抑制されている。「四海の海、みな同胞と思う世になど波風の立ち騒ぐらん」(明治天皇)。交渉者に白紙委任状を持たせると、自分の権限の大きさを誇示したがり、大変な不利益をもたらす傾向がある。人は制約があるからこそ、工夫して、利益を得ようとするものだ。戦後世代も第九条の恩恵を受け、「国際的名声」と「政治的や棒」のために軍事力を積極的に行使する事態を招かなかったことを忘れるべきではない。そのおかげで、韓国と違い、ベトナム戦争に引きずりこまれなかったことに感謝しなくてはなるまい。これも「歴史的ないきさつ」である。第九条が日本を護ってきたのは確かである。「忘恩は傲慢の娘である」(ミゲル・デ・セルバンテス『ドン・キホーテ』)。一貫して一貫性のないアメリカの安全保障・外交政策による被害を最小限度にとどめるため、このインセンティヴをうまく活用することが望まれている。従って、われらは、第九条が幻想だとしても、個人として、「名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成する」ために、幻想の力を用いる。
ジル・ドゥルーズは、『意味の論理学』において、幻想の力について次のように述べている。
 
幻想は、形象的なものから抽象的なものへと進む。幻想は形象的なものからはじまるが、抽象的なもののなかで追いかけられるしかない。幻想は、非物体的なものが構成される過程であり、ちょっとした思考を引出す機械である。
危険なのは、明らかに幻想が飛び上がることが出来ず、跳躍を為損う旅に、最も品こんな思考、性的なもの「についての」白日夢の子供騙しの堂々巡りに突入することである。それに対し、幻想の輝ける路は、プルーストが示したところのものである。
幻想は能動や受動を表象しているのではなく、能動と受動の結果、すなわち純粋な出来事を表象する。どのような出来事が現実的で、どのような出来事が想像的かという問は成り立たない。想像的なものと現実的なもののあいだに区別があるのではなく、そのような出来事とその出来事を引き起こすか、そのなかで有効となる物体的事物の状態のあいだに区別がある。
二十世紀は内戦の世紀であるが、その発端はスペイン内戦である。スペイン内戦に対する外国勢力の干渉はそのまま第二次世界大戦に持ち越されている。戦後。フランシスコ・フランコ将軍は戦争放棄をとり入れた第二共和国憲法を葬り去る。二十世紀の戦争はスペイン内戦のヴァリエーションにすぎない。コスタリカ憲法と日本国憲法の違いは、二十世紀における内戦の危険性を考慮しているか否かの点にある。日本政府・与党の防衛政策は内戦を招きかねないことに無自覚である。われらは、個人として、スペイン内戦の普遍性を幻想の力によって提起し、恒久平和のために、それを脅かす反動的な動向には、日本国民であるかどうか以前に、こう「誓ふ」。
¡No Pasarán!
〈了〉